2009.6.21 詩編 139:1-18 牧師 中家 誠
恩寵とは、広辞苑によれば、「罪深い人間が、神から与えられる無償の賜物」とあり、「超自然的な宗教の世界を『恩寵の国』という」とある。
わたしたち、取るに足りない者が、神の特別な恵の中に遇されることである。昔から、神の恵により、キリストによって贖われた者は皆、この恩寵の世界に生きてきたのである。
神の恩寵に与かる者は、まず、神の「知遇」(神に知られることの幸い)を受けるのである。創世記のヤコブが(創28:16)、預言者エレミヤが(エレミヤ1:5)、キリストの弟子となったナタナエルが(ヨハネ1:48)、徴税人のザアカイが(ルカ19:5)、そして使徒パウロが(使徒9:4)、皆、自分の名を呼ばれて、神の知遇を受けた。それは、自分が神を知る前に、神に知られていることの不思議な経験である。
「神を知る」とは、「自分が神に知られている」ことの経験である。詩編139編には、そのことがつぶさに語られている。驚きと喜びをもって。
「神を知る」とは、「自分が神に知られている」ことの経験である。詩編139編には、そのことがつぶさに語られている。驚きと喜びをもって。
そして「召命」とは、その神に知られている自分が、神に捕えられ、神のご栄光を現す者となって行く、その光栄のことである。恩寵に捕えられた人は、必ず、神に応答し、召命(呼ばれること、Calling)に生きる者となって行くのである。聖書はその「証しの書」なのである。