聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記36章1節-43節 2011年4月21日

 創世記36章1節-43節 2011年4月21日 祈祷会奨励
「エサウの系図」
 エサウは何人もの妻を持つ。ヘテ人の娘アダ。ヒビ人の娘オホリバマ、イシュマエルの娘バセマトです。この事情は26章34節~35節にも書かれていますが、全く名前が異なっている。
 ヘテ人は申命記7章1節によるとか何の地の七つの原住民の筆頭民族である。アブラハムはサラが死んだとき、この「ヘテ人」からヘブロンにあるマクペラの洞穴を買い取った。ヘテ人ハ北方から来た先住の民族であり、文明は進んでいた。エサウは原住民ヘテ人の娘と結婚することによって原住民と強調的に過ごすことが出来ました。また、最も東に住むイシュマエルの娘を娶ることによって、東の民(アラビア)との友好関係を築いた。そのためエドムは広い地域を安定して確保できたといえる。
 36章の系図の著しい特徴は、それがまさにこの部分におかれているということにある。ヤコブに関する伝承の長い結論部分がエサウに関するものであることは、素晴らしいことである。ヤコブについての物語り全体を聞いてきた全ての人は、古い世代の事を忘れて新しい世代へと、すなわち、ヨセフへと向かう準備が出来ていることを知っている。しかしながら、伝承それ自体はそんなに急いではいない。伝承は、エサウを放っておくことに困難を感じている。そしてそのことが、明らかにヤコブの家族からの圧力と誠実さによって形成された一つの伝承にとっての重要な問題点を提起している。
 エサウは「ヤコブ物語」全体を通して敬意を持って扱われている。27章の長子の祝福が奪われる場面では、エサウは、人の心を動かさずにはおかない情感をもって描かれているし、33章の和解の場面においては、彼は高潔に描かれている。また36章7節では、エサウとヤコブの間の富の分割が論争によってではなく、実際的に、そして平和裏になされたことが述べられている。13章のロトの場合と同じように、富の分割は、エサウに対して何らの汚点も残していない。
 エサウはカナンをヤコブに明け渡し、自分はセイルに身を引いたと読むことが出来る。33章の場面ではヤコブとエサウのやり取りの中でエサウが好んでセイルに行っているように見えるが、36章の場面では、ヤコブのために身を引いたと受け取られる。
 全体的な印象として、聖書は暗黙のうちにエサウを褒め称えていると見ることができる。ヤコブ物語の中で、ただ一度として、エサウに対する痛烈な言葉というものは見当たらない。ヤコブに対する彼の怒りさえも、批判されることなく、正当なものとして描かれている。
 私たちは、ヤコブが選ばれ、エサウが長子の権利を軽んじたという出来事を見てきたため、あまりも割り切って聖書がエサウを否定していると考えがちである。確かに聖書はヤコブを選んでいると伝える。しかしもっと正確に聖書のメッセージを語るならば、聖書はヤコブを選んでいるけれども、しかしエサウが拒否されているわけでもない、という事が言えるだろう。それは既に、女奴隷ハガルや、その息子イシュマエルに対して祝福の言葉と守りが備えられているようにである(16章)。もっと遡って言うならば、カインとアベルの争いによって、アベルを殺してしまったカインに対し、神は彼を追放するのであるが、しかし最終的に彼に与えられた言葉は、4章13節~16節の祝福の言葉であった。
 
 使徒言行録14章16節には「神は過ぎ去った時代には、全ての国の人が思い思いの道を行くままにしておられました。しかし神はご自分の事を証ししないでおられたわけではありません。」このようなパウロの言葉がある。しかし今やこの時代は過ぎ去ったとパウロは言う。つまりこれまでは別々の歩みをしてきた異邦人たちも、ユダヤ人たちも、ギリシャ人たちも、全てのひとがこぞって主を賛美し、主の御名をあがめる日がやってきたのだ。それこそが主イエス・キリストの十字架と復活である。
 キリストが我々の間に立ち給うならば、そこにはそれぞれの差異を越え、民族の違いを越え、生き方の違いを越えたもの同士が、キリストの復活に与ることが出来る。そこ現実をいま受難週のこの時に改めて感じさせられたいと思うものである。

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記35章1節-28節 2011年4月14日

創世記35章1節-28節 2011年4月14日
1節~4節
 シメオンとレビが犯した虐殺に対し、周囲諸民族たちはその報復を考えていたはずである。新参者というだけでも肩身が狭いのに、その新参者たちが大勢を殺したとなれば、周辺諸民族が黙っているわけがない。そのため神は「さあ、べテルにのぼり、そこに住みなさい」と言われた。神はヤコブ一家に対し、逃れのための命令と、新しくやり直す言葉を与えた。
 1節の「神のための祭壇」や2節の「服装を変えること」は、心機一転させるための表面的な変化ではなく、恨みを持つ人たちから逃れるためだけのものでもなく、また、報復に対して軍備を備えるということでもない。これはヤコブ家の宗教改革であった(渡辺)。身につけてい外国の神々とそれに関連する全ての習慣と装飾品を捨て、真の神に立ち返ろうとしたのである。それはアブラハム、イサク、そしてヤコブの神への立ち返りであった。
5節~15節
 彼らはシケムを立ち、べテルについた。神は逃れた彼らを追跡することなく(5節)無事にこの土地まで行かせた
 ここで乳母のデボラが死んだことが述べられている。デボラとはリベカの乳母であり、イサクと結婚するときに一緒に(24章59節)ついて来た乳母である。リベカはこの時やコブと対面する前に亡くなっていたと考えられるが、デボラは3世代に亘って長寿であったという。
 重要なことは、彼女が死んだとき「嘆きの樫の木」の下に葬られたということから、彼女が大変慕われていたということである。ヤコブの家でも屋台骨を支える柱となっていたのかもしれない。
16節~29節
 ヤコブの家はベテルから南下し、父イサクの住む、ヘブロンのマムレに向けて出発した。
 これまでの道のりを考えるならば、ヤコブはイサクに対して特に愛着を感じていなかったようである。パダンアラム(ラバンのところ)にいた時に「親族の下へ行け」と神に示されたのち、ヤボクでエサウと20年ぶりの再会を果たす。しかしエサウの「ヤボクの南にあるセイルで一緒に暮らそう」という申し出を断り、ヤボクから遠くない「スコト」に留まった。その後すぐにべテルに行くわけでも、ヘブロンに向かうわけでもなく、シケムでぐずぐずとしていたために「息子たちの罪」を招いてしまう。そこで父と再会するのであるが、パダンアラムを出てから父に会うのが明らかに遅いように思う。つまり「父はエサウを愛し、母はヤコブを愛した」のは、「エサウは父を愛し、ヤコブは母を愛した」ということを示しているのだろう。
 最終的にエサウとヤコブに看取られてイサクはその生涯を終えるわけであるが、その前にヤコブは最愛のラケルの死を迎えるのである。
 (16節)一同がべテルを出発した後、ラケルは産気づいた。かなりの難産であったため、その苦しみは大変なものであったようだ。彼女は生まれた子に「ベン・オニ」(私の苦しみの子)と名づけたが、それでは耐えられないと思ったのであろう、ヤコブは「ベニヤミン」(幸いの子)と名づけた。
19節~22節
 19節以下~22節はヤコブ一家にとって衝撃的な出来事であり、父ヤコブに対する侮辱でもあった。なぜこのような事が起きたのかは分からないが、おそらくラケルの死によって、ラケル所有の側女であるビルハの(所謂)所有問題が起こったのかもしれない。いずれにしてもルベンはレアの子でありヤコブ家の長男であるが、その彼がビルハと関係を持ったということは、ヤコブ家の罪を現している。父に対して罪を犯し、母レア、ラケルに対しても罪を犯し、姦通の罪ということで、自らの命への罪を犯している。
 渡辺信夫は次のように言う。「ラケルの死は、ヤコブ一家にとって衝撃的な事件であり、その衝撃は必ずしも人々を精神的に高めるのではなく、むしろ刹那的快楽に陥らせない歯止めになっていた支えを取り外す作用をします。イザヤ書22章13節に『我々は食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだから』という不信仰の世界で横行する諺が惹かれています。死の陰がチラチラするところでは性の快楽への誘いが活発化します。この諺をコリント前書15章32節が引用するところであきらかになりますが、死の衝撃には死人の復活を対置させなければ、人間の崩壊を食い止めることはできません」
 とにかく、ここに出てくるのはイスラエルの(選ばれた)12部族の始祖たちである、ということである。つまりこの始祖たちの罪の数々を見る限りでは、決して「選ばれた」という言葉を使うことが出来ないほどに彼らの行いは汚れている。しかし神はこの罪深い12部族を選んだのだ。それは美しく、清く、正しい、聖なる民であるからではない。申命記7章6節~9節にある約束の言葉がそれを証している(旧約292頁)

4月11日~4月16日までの集会

 ◇中会 青年部委員会(会場:浦和教会)       4月11日(月)16:00~

 ◇杉戸集会(田端宅)               4月13日(水)10:00~

 ◇聖書の学びと祈りの会              4月13日(水)19:30~

 ◇聖書の学びと祈りの会              4月14日(木)10:00~

 ◇婦人会委員会                     〃     終 了 後

使徒言行録19章8節-20節 『スケワの七人の息子たち』 

使徒言行録19章8節-20節 『スケワの七人の息子たち』 2011年4月10日

 パウロはエフェソの会堂で、2年3ヶ月に亘って宣教を行ないました。相変わらず多くのユダヤ人たちは、頑なにキリストを信じようとはせず、結果として長い間ここに留まることになったのです。9節に「ティラノという人の講堂で毎日論じていた」とありますが、ティラノという人が、この講堂の所有者であったのか、それとも毎日議論の中心になっていた人物であったのかはっきりいたしません。とにかく侃々諤々やりあっていたというのです。しかしそのようなやり合いが、かえって主の言葉を長いことこの町で語らせることとなりました。このティラノという人の講堂で毎日論じることがなければ、より多くの人たちを回心に導くことはなかっただろうと思います。時にはこの議論が不毛なもので終わる事もあったでしょう。喧嘩腰になることもあったでしょう。時には身の危険すら覚えるほどの激しさもあったことでしょう。しかし結果としてそれらの議論の末に、「ユダヤ人であれ、ギリシャ人であれ、誰もが主の言葉を聴くことになった」というのです。結果として2年3ヶ月という長きに亘ってエフェソで宣教することになりました。巡回伝道者のパウロとしてはかなり異例の長さであったわけです。

 さて、今日の箇所の中で、大変面白いと感じるところが二つございます。まず一つ目ですが、11節、「神はパウロの手を通して目覚しい奇跡を行なわれた。彼が身につけていた手拭いや前掛けを持っていって病人に当てると、病気は癒され、悪霊どもも出て行くほどであった。」とこのようあります。この箇所は肯定的に書かれているものとして読むことができます。つまり、神様はパウロの手を通して、彼の身につけていたものでさえも癒しの道具としてお用いになられた、ということです。しかし一方で、これを否定的な内容として読む事もできるわけです。無教会の神学者で高橋三郎という先生が折られますが、彼はこの箇所について次のように言っております。「パウロにも、ペトロと同様の奇跡の力が与えられていたということをここで語ろうとしていたのであろうが、その身につけていた手拭いや前掛けに奇跡的癒しの能力が乗り移ったことになると、聖霊の働きやパウロの祈りとは全く無関係に、癒しが行なわれたことになる。それはもはやキリスト信仰とは無関係な、呪術信仰の表明と言うほかない。ここには神の存在も、伝道者の祈りも参与しておらず、そういう意味での人格性が欠如していることを我々は見過ごすことは出来ない」。このように言っておりました。

 これを読んでみてなるほど、と思ったわけです。「鰯の頭も信心から」ということわざもありますように、鰯の頭のようなどんな取るに足らぬものであっても、信じる思いさえあれば、何でも神様のようにありがたく感じてしまうものだ、という揶揄的な意味が込められたことわざであります。ここでパウロの手拭や前掛けは、あたかも鰯の頭のように、パウロの手を離れ、何よりも神の手を離れているにも関わらず、人々に何らかの癒しの力を行使した、というのです。

 私たちは殊更に魔術的な信仰や、迷信、まじない、占いの類の物を、まったく信仰とは別のものとして忌み嫌い排除してきたと思います。確かに旧約の律法の中にもそのことは書かれております。申命記18章には「あなたがたは、異教の習慣を見習ってはならない。娘息子に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。~主はこれらの者をあなたの前から追い払われるであろう」。と書かれております。また、レビ記20章27節には「男であれ、女であれ、口寄せや霊媒は必ず死刑に処せられる。彼らを意志で打ち殺せ。彼らの行為は死罪にあたる」とあり、これは申命記の文言よりも、より厳しい口調になっているのです。つまり旧約において魔術や占いやその類のものは、厳罰に処されて、時には生かしておいてはならない、というほど厳格な対処を求められていたということが分かります。

 しかし私たちは、今日の箇所を見る限りにおいて、魔術的な行為に対して、懐深く捉えているようにも思えます。使徒言行録をずっと読んできましたけれども、これまで見てきたように、例えば8章では、フィリポがサマリアの魔術師シモンと対決しておりますし、13章でパウロはバルイエスという魔術師と対決しています。しかしこの両方とも、単に魔術師を処刑したとか、追放した、という結末を迎えているわけではないのです。8章のバルイエスは、自ら魔術を捨てて洗礼を受ける者となりました。13章のバルイエスの場合は、一時目を見えなくさせられましたが、「時が来るまで日の光を見ないだろう」と13章11節で宣言されております。つまり、時が来て、回心のときを迎えたら日の光を再び見ることになるだろう、という予告の言葉と共に、バルイエスとの対決を締めくくっています。

 つまり使徒言行録の中で考えられているのは、魔術とか、占い、という迷信的なものを、積極的に推奨することはありえないとしても、しかし「鰯の頭」を信じるほどの、小さな信仰がある場合、そのような小さな信じる思いを神様は無駄にされない、という事が言えるのではないかと思うのです。もちろんパウロの手拭や前掛けなどのような物は、単なる無機質であり、人格的な物ではないし、それ自体が何をしてくれるわけではないにせよ、そのような取るに足りないものを通してでも、神様は苦しむ病人の癒しのために働いてくださる、という事が言えるのではないかと思うのです。

 しかし、それとは全く正反対のことも言われております。ここに出てくるスケワの七人の息子たちは、単に主イエスの名を濫用した、癒しの真似事をしているに過ぎません。そこに信仰があるわけではありませんでした。「試みに、主イエスの名を唱えて」という言葉が示していますように、「試しに、イエスの名前を使ってみた」という程度の軽率なものであったのです。私たちは十戒の中で「主の名をみだりに唱えてはならない」という文言を知っていますが、まさにこの言葉に抵触しこれを無視するかのような、主の名の濫用であるのです。

 この七人がどういう人たちであったのかは分かりません。父親が祭司長である、という事から、かなり恵まれた生活をしていたでしょう。また
宗教的にも、祭司長の息子、というだけで、一目置かれた存在となっていたのかもしれません。ですから何をしても怒られない。何をしてもやりたい放題であったのかもしれません。このような彼らのよこしまな考えに対してどのような結末を迎えているのでしょうか。これが今日の箇所の面白いところなのですが、ここで悪霊自身が「イエスとパウロを知っている」と言っております。そしてスケワの7人が「偽者である」ことを突き止めて、彼に怪我を負わせ、追い払ったのであります。「悪霊が」イエスやパウロの偽者を暴き、追い出す。これは大変面白いところです。言ってみれば悪霊たちは、これまで何度もイエスに追い出されてきた者たちであります。マタイ8章28節以下、マルコ9章14節以下、などに書かれているとおり、悪霊がイエスの名によって追い払われてきたことがあらゆる箇所に書かれております。しかしここでは反対なのです。悪霊が、この七人に対して「お前たちはイエスではないのに、イエスを名乗っている不届き者だ」と言わんばかりに、彼らを追い払っているのです。まるで悪霊が「私はイエスの権威以外に従うつもりはない」と宣言しているようでもあります。
 
 先ほどの手拭と前掛けにありがたさを感じた事柄と比較してみてどうでしょうか。勿論「鰯の頭も~」という考えもありますし、神様はそのことで神の力を感じることが出来るなら、ということでおおらかに、懐深く捉えてくださっているのかもしれません。しかしそれは実体不在の信仰でしかないのであります。悪霊にでさえも分かってしまうほどの眉唾ものでしかないのです。つまり私たちは信じる神は、実体の伴った、神それ自体が、根拠になっている神なのである。確かに占いや、魔術などによって、心が晴れやかになる人も中には存在するかもしれません。しかしイエス・キリストを知る我々は、イエス・キリスト不在のところに真の救いが存在することはない、ということを知っているのです。「私はある」という方が、そこにおられるとき、初めて「神我らと共にいまし給う」のであります。「私はある」と自己開示なさる神がおられないとき、そこには鰯の頭はあったとしても、神ご自身と、神の決定的な救いはそこに存在しないのであります。私たちは神の「ような方」を信じるのではなく、又、聖者が使ったとされる
「由緒正しき着物」を信じているのではありません。神を信じているのです。神が我々の近くにおられることを信じるのです。

 この箇所の最後は全く劇的な終わり方をしています。18節以下です。「信仰に入った大勢の人が着て、自分たちの悪行をはっきり告白した。また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨5万枚にもなった」このようにあります。魔術を行っていた者たちが、真の神に立ち返ったというのです。神のようなもの、神として信じてきた神ではないものを捨てて、それが実体のない、神不在の魔術であったことを告白して、神のもとに集まってきたのです。そして彼らが持っていた本、を全て焼き捨てました。彼ら魔術師にとって魔術の本は最も必要とされてきたものであったことでしょう。これらの本にはあらゆる魔術について書かれていたのでしょう。その筋では相当な価値のあるものだったと思います。銀貨5万枚というのは、5万デナリオンと同じです。つまり一人の労働者が5万日かかって稼ぐ賃金、137年分の労働賃金に匹敵するほどの大金であります。しかし今や、イエス・キリストの前に、その魔術本の価値はなくなった。5万日分の労働賃金に匹敵するほどの魔術書よりも、イエス・キリストへの信仰、キリストと共に生きようとする告白が何よりも価値があると、皆がその道を歩み始めたということであります。魔術書は、言ってみれば、魔術師たちにとって彼らの生活を支えていたものであります。彼らの生活、それまでの人生、彼らの生業であり、彼らのそれまでの生涯に亘って最も大切であると考えてきたものであります。しかし今や、キリストの前に、その価値はなくなった。新しい生命を与えられて、新しい歩みを示されて、新しい価値を受け継いで、彼らは歩み始めたのであります。この恵みが、その価値の転換が、私たちにも与えられているのです。復活祭に向けて歩む私たちです。新しい命。キリストに示された命に向かって歩もうではありませんか。

4月4日~4月9日の集会

 ◇神学校入学式(浦和教会から奉仕者3名       4月4日(月)13:00~

 ◇中会中連婦委員会                4月5日(火)10:00~

 ◇聖書の学びと祈りの会              4月6日(水)19:30~

 ◇聖書の学びと祈りの会              4月7日(木)10:00~

 ◇トレインキッズ(パーラービーズ)        4月9日(土)11:00~13:30

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記33章1節-19節 2011年3月31日

 創世記33章1節-19節 2011年3月31日
 32章では「ヤボクの渡し」で神と格闘する。正確には「神の使いと思わしき者と格闘する」のであった。ヤコブは大腿骨をいとも簡単に外された。そこで神の力に驚く。彼はここで肢体不自由となったのであろうが、そこで神との出会いを受けた。
 1節-2節、6節-7節の順序は何を意味しているのか。好きな順番という感じがするが、もっと具体的に言うと、大事な順に挨拶をさせていき、安全をはかっていった、ということである。最初にエサウと会わせて大丈夫なら次、という感じであった。今ではこのようなことはまかり通らないと思うが、古代の話であることを前提にするとこれはまかり通るのであった。
 エサウは走りよってヤコブを迎え、抱きしめ、首を抱えて口付けし、共に泣いた。放蕩息子のたとえの中で、父親が放蕩の限りを尽くして帰ってきたろくでもない息子を快く迎え、帰ってきたことを大歓迎し、祝いの宴をもうけた。あの放蕩息子のように、ヤコブは出迎えられたのである。しかしなぜこのように和解できたのだろうか。
 それは「7度地にひれ伏した」という言葉が現している。普通敬いとしてひれ伏すのは3度と決まっていた。しかし王に謁見する時ばかりは7度ひれ伏す、と決められていた。つまりヤコブはエサウに対して、王に対するのと同じ7度ひれ伏して思いを表した。それによってエサウの心が何らかの仕方で変化したかどうかは分からない。聖書には書いていない。しかしエサウにとって400人のお供を連れてヤコブを迎えに来たことから鑑みると、エサウの中に全く警戒心がなかったかというとそうではないと感じる。つまりエサウはヤコブに不信感を抱いていたのだ。ヤコブも不安だったがエサウも不安だったのだ。
 しかし不安は7度のひれ伏しによって解消されたと言える。それはヤコブの悔い改めであった。彼は自分の行いに対して、悔い改めをもって兄を敬った。あの放蕩息子は父から受け継いだ財産を全て使い果たし、一文無しになったのであるが、あの息子は自分のふがいなさと間違いに気付き、自分の生きる場所に戻りたいという悔い改めをもって父の元に返ってきたのだ。それを父は受け入れた。
 エサウはこの父と全く同じであるかどうかは別として、いずれにしてもこの中に書かれているのは、悔い改めと赦しという出来事なのである。
 ヤコブはプレゼントを渡そうとする。彼はこれを是非受け取ってもらわねばならなかったものなのであった。しかしエサウは最初は遠慮する(9節)。しかし是非に、という言葉に促されて「しきりにすすめたので」(11節)受け取った。
 このように11節まではヤコブが兄エサウと和解するまでの出来事が描かれていた。しかし12節からは少し変わってくる。「さあ一緒に出掛けよう」(12節)。「わたしが連れている者を何人かお前のところに残しておくことにしよう」(15節)。エサウの申し出を何度も断り続けたヤコブは、なぜこのようにしたのであろうか。
 それは、ヤコブがまだ警戒していたからである。一緒に行こう、という申し出も、護衛の者をつけてやろう、という申し出も、断ったのは、つまり早くエサウと別れたかったからである、と考えることが出来る。ヤコブは大変慎重にことを進めようとしていたのである。まだエサウを信じきっていなかったと言ってもよいかもしれない。それはエサウの好意に疑いを持っていたから、というよりも、自分の内なる思い、つまり自ら犯した罪の重さが彼をそのように疑い、不安し、恐れさせていたのであろうと思う。
 しかし今日の箇所で注目すべき言葉がある。それは10節である。「いいえ、もしご好意を頂けるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取り下さい。兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。この私を温かく迎えてくださったのですから」
 この言葉は少なからず戸惑いを感じさせる。それは兄の顔が神の顔のようだ、と言っているからだ。うがった見方をすれば、人間を神格化しているかのような言葉として受け取られてしまいかねない。しかしこの言葉は非常に重要である。実はこの箇所はヤコブとエサウの再会、という一連の出来事の流れの中で「顔」が一つのモティーフとして現れている。32章20節「~ヤコブは贈り物を先に行かせて兄をなだめ、その後で顔を合わせれば~」。32章31節「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、なお生きている」。そして33章10節である。
 ここで考えたいのは、ヤコブは兄の顔を見ることが神の顔を見ることに似ている何かを見つけたということである。聖なる神の中に疎遠な兄の何かがあり、赦す兄の中に祝福する聖なる神の何かを見出したのである。ヤコブは兄の顔を直視できなかった。しかし直視するために彼は、なだめの贈り物を捧げ、7度ひれ伏し、最善を尽くして罪の贖いを求めた。我々が神の顔を見ることが出来ないのは、我々が罪を持っているからである。我々が顔向けできない神に対して、我々その御顔を仰ごうとする。それは罪の告白と赦しの中で、神と人間の関係が正常化していくことによって、神の顔を仰ぐことへと向き直らされていくのである。言い換えるならば、ヤコブは自分の罪の重さに気付いていたために、神の顔を見ることの出来ない思いを持っていた。私たちも、嘘をついたとき、悪い事をしたとき、何か自分の中に顔向けできない何かがあるとき、その当事者の顔を見ることができないように、我々は神の御顔を仰ぐことができないのだ。
 そして、この10節の言葉から考えられるのは「赦しという行為が存在する中に、神の存在が垣間見られる」ということである。エサウは神ではないし、神と呼べる何物も持っていない。しかし罪を犯したヤコブにとっては、兄の赦しは、神の赦しに匹敵するようにさえ思えた大きさを持っていたのである。勿論聖書も、神とエサウを混同してしまうような読み方を許しているのではない。しかし、天上の事柄と地上の事柄が全く乖離されたところにあるのではないということ。世俗的な事柄と神聖な事柄が全く相容れないものではなく、その両者の中にある、何かをここに見出すのである。
 大事なのは、「エサウが赦し得たことを賞賛する」ことではない。また、「ヤコブが7度ひれ伏したから赦した」というような、原因と結果の事柄としてエサウの赦しを捉えることで
もない。ヤコブは兄と出会う事を求められていたし、兄は赦す事を求められていたということである。もっと突っ込んで言うならば、32章で大腿骨を外されたヤコブが、その後片足が不自由になって生きる事を余儀なくされたことを通して、その不自由さを神の自由の中で祝福として受け止めたとき、そこに神の存在が立ち上がったのであろうと思う。さらにエサウがヤコブに父からの祝福を奪われてしまい、殺意を抱くまでに憎んだあの出来事を通して、その中にある神の御旨と御意とを受けとめ、その喪失を絶望と受け取らずに神の与え給う喪失であると受け止めたとき、そこに神の姿が立ち上がったのではないかと思うのである。