2024.11.10 の週報掲載の説教
<2024年9月22日の説教から>
『わたしをお遣わしになったお方の御心を行うために』
ヨハネによる福音書6章22節~40節
牧師 鈴木美津子
「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。(40)」
主イエスは、自分は御父の御心を行うために天から降ってきたと言われた。主イエスが「わたしが命のパンである」と言われた理由は、この御父の御心のゆえである。主イエスが「わたしこそが、命のパンである」と言われたのは、子を見て信じる者に、永遠の命を与えることができるからである。主イエスは、御父の御心に従って十字架に上げられることによって、罪と死の力に勝利された。それゆえに、主イエスは御自分を信じる者たち、御父から御自分に与えられた者たちに、神との永遠の交わり、永遠の命を与えることができるのである。キリスト者は、主イエスを通して、神を父と呼び、親しく礼拝しているが、そのようにして、キリスト者は、命のパンである主イエスにあずかっているのである。そして、その永遠の命は、主イエスが、終わりの日に主イエスを信じる者を復活させてくださることによって、完成されるのである。主イエスが、「わたしが命のパンである」と言われるとき、それはこの地上を生かす命だけのことを言っておられるのではない。死に勝利する命、復活の命のことを言っておられるのだ。主イエスは、御自分を信じる者たちを終わりの日に復活させるお方として、「わたしが命のパンである」と断言されるのだ。そして、その保証として、主イエスは、十字架の死から三日目に復活されたのである。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」。この主イエスの言葉は、主の日の礼拝ごとに、すべての人に向けて今も語られている、力強い招きの言葉である。その招きに私たちはこれからも喜んで従っていきたいと願うのである。たとえ今、信仰に弱さを覚えていたとしても、「わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」という主イエスの言葉に支えられて、この地上の信仰の旅路を共に歩みたいと願う。