2009.11.29 イザヤ書 40:1-11 牧師 中家 誠
今のこの時代、人の心は破れ、傷ついており、真の癒しを必要としている。聖書は、その真の癒し、慰めについて告げている。「慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる」と(イザヤ40:1)。
旧約のイスラエルの民は、紀元前6世紀に、バビロン捕囚という大きな苦難(どん底)に陥った。その民に向けて神は、「この民を慰めよ」と言われる。創造者にして歴史を支配される神の絶対的な御力と、同時に、その深い慈しみの御手をもって。「主は羊飼いとして群を養い、……小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる」(イザヤ40:11)。
神は真の裁き主である。と同時に、否、それゆえにこそ、真の慰め主でもあられる。この神が、ご自身の限りない慈しみの御手をもって、われら人類を慰め癒してくださろうとするのが、御子イエス・キリストの到来(アドベント、クリスマス)である。この御方の中にこそ、汲んでも尽きない神の恵みの泉が宿されているのである。