2025.3.30 主日礼拝の案内

2025.3.30 主日礼拝の案内

母に、『婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です。』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』

(ヨハネによる福音書19章26節b〜27節)

 
週 報 81巻 13号 2025.3.30

 
主 日 礼 拝

 
<レ ン ト Ⅳ・合 同 礼 拝>

 
午前  10:30          奏楽  田 中 愛

<神の招き>

 
招 詞   ヨエル書2章12節~13節

 
讃 詠   *545B

 
罪の告白と赦し 詩編32編6節~11節

 
讃美歌  *30

 
<神の言葉>

 
聖 書

イザヤ書53章11節~12節 (旧約P.1149)

 
ヨハネによる福音書19章25節~27節(新約P.207)

 
 
祈 り        三 浦 勇 二

 
讃美歌 (Ⅱ)182

 
説 教

「母を弟子に託す ―新しい家族―」 鈴木 美津子

 
<神への応答>

 
讃美歌  *436

 
使徒信条

 
公 告

 
献金感謝

 
主の祈り

 
頌 栄   *543

 
派遣と祝福

 
後 奏

 
 
礼拝当番

(今週)菊地 晴子

(次週)松谷 信司

 
献金当番

(今週)安井 英子 國見 照子

(次週)國見 照子 白川 典子

 
ライブ配信当番

(今週)新畑 信

(次週)小出 勝

2025.3.31 ~2025.4.6の集会案内

2025.3.31 ~2025.4.6の集会案内

      集 会

 
〇日曜学校(2階礼拝堂)      合同礼拝

 
〇信仰告白者準備会        9:30

 
〇讃美歌を歌う会(どなたでも)  礼拝後

 
今 週 の 集 会

 
◎祈祷題 「新社会人・新入学生のため」

 
〇聖書の学びと祈りの会     4月3日(木)10:00

ホセア書4章(担当 鈴木 美津子) 司会 安 井 英 子

【牧師予定】特になし

 
 週   

<レ ン ト Ⅴ・聖餐式>

 
説教 「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」   鈴木 美津子

 
詩編31編1節~9節

ルカによる福音書23章44節~49節

 
 
讃美歌     田 中 愛

(21) 83(1)、6、296(1—3)、296(4—6)、79、29

 
 
日曜学校説教 「主イエスの死」         加 藤 純 子

ヨハネによる福音書19章28節~30節

2025.3.30 週報教会のお知らせ

2025.3.30 週報教会のお知らせ

◇ウエストミンスター小教理問答

問45  第1戒は、どれですか。

答 第1戒はこれです。「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない1」。     1 出エジプト記20:3

 
問46 第1戒では、何が求められていますか。

答 第1戒が私たちに求めている事は、神を唯一のまことの神また私

たちの神として知り、認めること1、またそれにふさわしく神を礼

拝し、神の栄光をあらわすことです2。

1 Ⅰ歴代28:9、申命26:17  2 マタイ4:10、詩29:2

 
【第74回東京中会報告】

日時:3月19日(水)~20日(木・休)鶴見教会対面

礼拝出席者:103名 出席議員 牧師 33名、 長老 28名

礼拝献金:123,000円 教会・伝道所献金を含め1,294,800円

選挙:議長 山川聡(習志野) 書記 石飛律子

主な議事:①常置委員、選考委員等が選挙で選出された

②引退牧師 渡部静子(宇都宮松原)木村治男(上溝伝道     所)菊池信光(房総君津)

就職牧師 金田聖治(房総君津) 金山徳(栃木)

 
◇  日本キリスト教会神学校校長就職式 4月7日(月)13:00

 
◇ 日本キリスト教会神学校入学式   4月7日(月)13:30

2025.3.30 週報掲載の説教

2025.3.30 週報掲載の説教

<2025年2月9日の説教から>

『わたしもあなたを罪に定めない』

ヨハネによる福音書7章53節〜8章11節

牧師 鈴木美津子

 
あなたたちの中で、罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい(7)」

これは、誰も予期していなかった言葉であろう。しかし、誰もこの言葉に対して、反論することはできない。人々は、一人去り、二人去りして、最後には誰もいなくなってしまった。
私たちは他人の欠点、罪、過ちというのはよく見えても、自分自身のことはなかなか見えないものである。見えないにもかかわらず、見えていると思い込んでいる。勝手に自分でもみ消して、ないもののようにしている。自分の罪は棚上げにして、他人を責めて、他人の罪を裁こうとする。ところが一番の問題は、自分自身の中にあるのではないか。そういう問いかけである。主イエスの言葉は、「あなたにはその資格があるのか」と問いつつ、「本当に彼女を裁くことができるものは誰か」を指し示している。彼らの中には、その資格のある人は誰もいなかった。最後に残ったのは、この女性と主イエスだけであった。
主イエスは、「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか(10)」と問う。女性が「主よ、だれも」と言うと、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない(11)」と言われたのである。主イエスは、この女性の罪を決して水に流してしまったり、もみ消したりしようとしておられるのではない。また逆に律法を否定したり、無視しようとされたりしたのでもない。律法は律法として、神の意志は意志として、罪は罪として、厳然と存在する。それをあいまいにすることはできない。罪の赦しということと、罪の是認ということは違うということを心に留めなければならない。

「わたしもあなたを罪に定めない」ということは、実は「その裁きは、私が引き受ける」ということなのである。罪は裁かれなければならない。徹底的に罪が裁かれて、その中から赦しの宣告がなされるのである。

私たちは、キリスト者として生きる時に、どちらかと言えば、この「律法学者やファリサイ派の人々」のように、人を裁いてしまうものである。主イエスはそのような私たちの思いをもその身に引き受けて、間違いをただしながら十字架におかかりくださったのである。そのことを深く心に留めたいと思う。