2025.3.16 主日礼拝の案内
イエスは言われた。「はっきり言っておく。
アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」。
(ヨハネによる福音書8章58節)
週 報 81巻 11号 2025.3.16
主 日 礼 拝 <レ ン ト Ⅱ> 午前 10:30
奏楽 三 輪 志 都
<神の招き>
招 詞 ヨエル書2章12節~13節
讃 詠 (21)83(1)
罪の告白と赦し 詩編1編1節~6節
讃美歌 (21)6
<神の言葉>
聖 書 創世記12章1節~4節 (旧約P.15)
ヨハネによる福音書8章48節~59節(新約P.183)
祈 り 森 﨑 千 恵
讃美歌 (21)297
説 教 「アブラハムが生まれる前から」鈴木 美津子
<神への応答>
讃美歌 (21)55
十 戒
公 告
献金感謝
主の祈り
頌 栄 (21)26
派遣と祝福
後 奏
礼拝当番
(今週)野田 昭子
(次週)済陽 高志
献金当番
(今週)草野 恵 浜野 陽子
(次週)増田 裕子 勝 理恵
ライブ配信当番
(今週)新畑 信
(次週)小出 勝
NEW! 2025.3.17 ~2025.3.23の集会案内
2025.3.17 ~2025.3.23の集会案内
本 日 の 集 会
〇日曜学校(2階礼拝堂) 9:00
〇信仰告白者準備会 9:30
〇讃美歌を歌う会(どなたでも) 礼拝後
今 週 の 集 会
◎祈祷題 「教師の健康が守られるため」
〇聖書の学びと祈りの会 20日(木) 休会
鈴木牧師が、第74回東京中会定期中会出席のため、休会といたします。
【牧師予定】
〇3月18日(火)中会教職者会、19日~20日(水~木・休) 中会
次 週 礼 拝
<レ ン ト Ⅲ>
説教 「神の業が現れるために」 鈴木 美津子
エゼキエル18章1節~4,14〜20節
ヨハネによる福音書9章1節~12節
讃美歌 田 中 愛
(21)28、17、298、463、27
日曜学校説教 「主イエスの逮捕」 鈴木 美津子
ヨハネによる福音書18章1節~11節
本 日 の 集 会
〇日曜学校(2階礼拝堂) 9:00
〇信仰告白者準備会 9:30
〇讃美歌を歌う会(どなたでも) 礼拝後
今 週 の 集 会
◎祈祷題 「教師の健康が守られるため」
〇聖書の学びと祈りの会 20日(木) 休会
鈴木牧師が、第74回東京中会定期中会出席のため、休会といたします。
【牧師予定】
〇3月18日(火)中会教職者会、19日~20日(水~木・休) 中会
次 週 礼 拝
<レ ン ト Ⅲ>
説教 「神の業が現れるために」 鈴木 美津子
エゼキエル18章1節~4,14〜20節
ヨハネによる福音書9章1節~12節
讃美歌 田 中 愛
(21)28、17、298、463、27
日曜学校説教 「主イエスの逮捕」 鈴木 美津子
ヨハネによる福音書18章1節~11節
NEW! 2025.3.16 週報教会のお知らせ
2025.3.16 週報教会のお知らせ
◇ウエストミンスター小教理問答
問42 十戒の要約は、何ですか。
答 十戒の要約は、心を尽くし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なる私たちの神を愛すること、また自分を愛するように私たちの隣人を愛することです1。
1 マタイ22:37~40
◇東京中会「信徒のつどい」開催のお知らせ
日時:2025年5月6日(火・休)10:00~15:40
場所;日本キリスト教会柏木教会
主題:「祈り」
講師:大石周平(多摩地域教会牧師)
会費:1,500円(全日参加、昼食込)、午前のみ参加1,000円
申込み希望者は、受付けの申込み用紙にご記入下さい。
(申込み締め切りは3月27日木曜日まで)
多くの方の出席をお待ちしております。
◇ウエストミンスター小教理問答
問42 十戒の要約は、何ですか。
答 十戒の要約は、心を尽くし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なる私たちの神を愛すること、また自分を愛するように私たちの隣人を愛することです1。
1 マタイ22:37~40
◇東京中会「信徒のつどい」開催のお知らせ
日時:2025年5月6日(火・休)10:00~15:40
場所;日本キリスト教会柏木教会
主題:「祈り」
講師:大石周平(多摩地域教会牧師)
会費:1,500円(全日参加、昼食込)、午前のみ参加1,000円
申込み希望者は、受付けの申込み用紙にご記入下さい。
(申込み締め切りは3月27日木曜日まで)
多くの方の出席をお待ちしております。
NEW! 2025.3.16 週報掲載の説教
2025.3.16 週報掲載の説教
<2025年2月2日の説教から>
『主イエスを巡る対立』
ヨハネによる福音書7章40節〜58節
牧師 鈴木美津子
「メシアはダビデの子孫で、ダビデの村ベツレヘムから出ると聖書に書いてあるではないか。(42)」
メシアはガリラヤから出るのではなく、ダビデの子孫で、ダビデの村ベツレヘムから出る。この群衆とファリサイ派の主張に対して、私たちは反対するものではない。むしろ、マタイ福音書やルカ福音書の降誕物語を知っている私たちはアーメンとさえ言えるだろう。しかし、ヨハネ福音書は、主イエスがベツレヘムから生まれたことを記さずに、ガリラヤから出たものとして記している。この福音書は、ユダヤ人の誤解を誤解のままに放っておくような書き方をしているのである。なぜ、この福音書はそのような書き方をしたのか。
一つ考えられることは、ヨハネ福音書が主イエスの生まれをガリラヤでもベツレヘムでもないと考えていたということである。
私たちは、アドベントの期間をイエス様のお誕生を祝うクリスマスを待ち望んで喜んで準備をする。その喜びはどこから来るのか。そのことを考える時、私たちはヨハネが強調したいことがわかるであろう。主イエスのお誕生から2000年余もの間、キリストの教会はクリスマスをお祝いしてきた。それは主イエスがベツレヘムで生まれたからであろうか。確かに主イエスはベツレヘムで生まれました。しかし、究極的に言えばそうではない。クリスマスの喜びはどこから来るのか。クリスマスの喜びはベツレヘムからではなく、天から来る。永遠の神の独り子が私たちを救うために、私たちと同じ人となって生まれてくださった。そこにクリスマスの究極的な喜びがある。もし主イエスがユダヤ人たちが考えていたようにただの人間であったのであれば、ベツレヘムから生まれようとも、クリスマスの喜びはなかったであろう。クリスマスの大いなる喜びは、神が私たちを救うために、愛する独り子を人として遣わしてくださったことに尽きるのである。クリスマスの大いなる喜びは天から来ることを覚えて、私たちは毎年クリスマスを待ち望むのである。
<2025年2月2日の説教から>
『主イエスを巡る対立』
ヨハネによる福音書7章40節〜58節
牧師 鈴木美津子
「メシアはダビデの子孫で、ダビデの村ベツレヘムから出ると聖書に書いてあるではないか。(42)」
メシアはガリラヤから出るのではなく、ダビデの子孫で、ダビデの村ベツレヘムから出る。この群衆とファリサイ派の主張に対して、私たちは反対するものではない。むしろ、マタイ福音書やルカ福音書の降誕物語を知っている私たちはアーメンとさえ言えるだろう。しかし、ヨハネ福音書は、主イエスがベツレヘムから生まれたことを記さずに、ガリラヤから出たものとして記している。この福音書は、ユダヤ人の誤解を誤解のままに放っておくような書き方をしているのである。なぜ、この福音書はそのような書き方をしたのか。
一つ考えられることは、ヨハネ福音書が主イエスの生まれをガリラヤでもベツレヘムでもないと考えていたということである。
私たちは、アドベントの期間をイエス様のお誕生を祝うクリスマスを待ち望んで喜んで準備をする。その喜びはどこから来るのか。そのことを考える時、私たちはヨハネが強調したいことがわかるであろう。主イエスのお誕生から2000年余もの間、キリストの教会はクリスマスをお祝いしてきた。それは主イエスがベツレヘムで生まれたからであろうか。確かに主イエスはベツレヘムで生まれました。しかし、究極的に言えばそうではない。クリスマスの喜びはどこから来るのか。クリスマスの喜びはベツレヘムからではなく、天から来る。永遠の神の独り子が私たちを救うために、私たちと同じ人となって生まれてくださった。そこにクリスマスの究極的な喜びがある。もし主イエスがユダヤ人たちが考えていたようにただの人間であったのであれば、ベツレヘムから生まれようとも、クリスマスの喜びはなかったであろう。クリスマスの大いなる喜びは、神が私たちを救うために、愛する独り子を人として遣わしてくださったことに尽きるのである。クリスマスの大いなる喜びは天から来ることを覚えて、私たちは毎年クリスマスを待ち望むのである。