2025.2.9 主日礼拝の案内

2025.2.9 主日礼拝の案内

 
女が「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。

「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。

これからは、もう罪を犯してはならない。」

(ヨハネによる福音書8章11節)

 
週 報 81巻 6号 2025.2.9

 
主 日 礼 拝  午前  10:30

奏楽  板 垣 玲 子

<神の招き>

 
招 詞   ヘブライ人への手紙11章1節~3節

 
讃 詠   (21)83(1)

 
罪の告白と赦し 詩編51編1節~11節

 
讃美歌  (21)51

 
<神の言葉>

 
聖 書  申命記22章22節~29節  (旧約P. 315)

 
ヨハネによる福音書7章53節~8章11節  (新約P. 180)

 
祈 り      三 浦 勇 二

 
讃美歌  (21)441

 
説  教  「わたしもあなたを罪に定めない」鈴木 美津子

 
 
<神への応答>

 
讃美歌  (21)481

 
使徒信条

 
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで

苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に

死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。

わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、

からだの復活、永遠のいのちを信じます。  アーメン。

 
公 告

 
献金感謝

 
主の祈り
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
頌 栄   (21)26

 
派遣と祝福

 
後 奏

 
礼拝当番

(今週)森﨑 千恵

(次週)三浦 勇二

 
献金当番

(今週)済陽 高志 深沢 浩延

(次週)菊地 晴子 福永 真理

 
ライブ配信当番

(今週)小出 勝

(次週)新畑 信

 

2025.2.10 ~2025.2.16 の集会案内

2025.2.10 ~2025.2.16 の集会案内

 
      集 会

 
〇日曜学校(2階会堂)     9:00

 
〇定期拡大小会        12:00

 
〇定期小会・執事会       同上後

 
 
今 週 の 集 会

 
◎祈祷題 「信教の自由のため」

 
〇聖書の学びと祈りの会         2月13日(木)10:00

使徒言行録21章1節~16節 (担当 佐々木 英二神学生)

司会 鈴木 美津子

 
*佐々木神学生の奨励後、神学生を囲んで愛餐の時をもちます。

どうぞ、普段出席なさっていない方も是非ご参加ください。

 
【牧師予定】

〇2月10日(月) 浦和教職者会(ルーテル浦和教会10:00〜)

 
次  週  礼 

 
説教「わたしは世の光である」            鈴木 美津子

出エジプト記13章17節~22節

ヨハネによる福音書8章12節~20節

讃美歌 (21) 28、211、238、503、27   田 中  愛

 日曜学校説教 「エレミヤの召命」        安 井 国 雄

エレミヤ書1章4節〜10節

NEW! 2025.2.9 週報教会のお知らせ

2025.2.9 週報教会のお知らせ

◇ウエストミンスター小教理問答

問36  この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいは

それらから流れ出る祝福とは、何ですか。

答 この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれ

らから流れ出る祝福とは、神の愛の確信、良心の平和1、聖霊に

おける喜び2、恵みの増加3、終わりまで恵みのうちに堅忍する

こと4です。

1 ローマ5:1~2、5:5   2 ローマ14:17

3 箴言4:18  4 Ⅰヨハネ5:13、Ⅰペテロ1:5

 
◇2月16日(日)礼拝後、90周年記念事業委員会を開催

同日15:00~日本軍「慰安婦」問題と取り組む会世話人会(WEB)

 
【神学校卒業式のお知らせ】

2025年2月24日(月・休)13:00~ 神学校礼拝堂

卒業生:佐々木英二さん

*詳細は1階掲示板にあります。

2025.2.9 週報掲載の説教

2025.2.9 週報掲載の説教

<2024年12月29日の説教から>

 
『「待つ」という希望』

ルカによる福音書12章35節〜40節

牧師 鈴木美津子

 
この譬えでは婚宴に出かけた主人の帰りを待つ僕の姿が問題になっている。イスラエルの婚宴は、数日間に渡るものもあったと言われている。婚宴に出かけた主人がいつ帰って来るかは僕には全く見当がつかない。真夜中や、夜明けに帰ってくるかもしれない主人を「腰に帯を締め、ともし火をともして」待つことが僕に求められる。腰に帯を締めて待つのは、主人が帰ってきたら、すぐに主人の履き物を脱がせ、足を洗い、飲み物を用意するため、ともし火をともして待つのは、暗い夜道を歩いて帰ってくる主人が道を間違えないようにするためである。

ここで取り上げられているのは、主イエスの「再臨」である。それがいつなのか、分からない。主イエスが突然、再臨されて、私たちのところに姿を現した時に、私たちがすぐに迎えることができるように準備し、備えていることが求められる。

ところで、このたとえ話は、主人を迎えた後に思いがけない展開をする。「主人は帯を締めて、僕たちを席に着かせ、そばに来て給仕してくれる(37)」というのである。主人と僕との立場が逆転する。主人が給仕する者となり、僕が給仕される者となる。「主人が帰ってきたとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ」とあるが、この主人もまた幸いなのである。僕が自分を夜遅くまで心配して待っていたのか、と思うことは主人にとって幸いなのだ。主人が僕に給仕してくれる、というのは、主人もまたこの幸いを感謝しているしるしなのである。主イエスは、主人と僕とが、このような心の結びつきの中で、共に生きることができる、そのような関係を、持つことを私たちに願っているのである。

主イエスが再び来られるその時は、審判の時である。私たちが、神を真の神として礼拝してきたか、神の御心を行ってきたか、隣人を愛してきたか、が問われる時である。ヤコブの手紙4章15節に「むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです。」と語られているように、神の御心を行うことが私たちにとって第一のことである。私たちは、どのようにしたら主イエスを喜ばせることができるのか、そのことを念頭に望みを持って「再臨」を待つのである。