2024.12.8 週報掲載の説教
<2024年11月17日説教から>
『主イエスの時』
ヨハネによる福音書7章1-1節
牧師 鈴木美津子
「そこで、イエスは言われた。『わたしの時はまだ来ていない。』(6a)」
ユダヤには過越祭、五旬祭、仮庵祭という3つの大きな祭りがある。その3つの祭りの中でも仮庵祭はもっとも盛大に祝われたと言われている。主イエスの兄弟たちは、仮庵祭こそ、主イエスが自分を世にはっきり示す良い時であると考えたのだ。
主イエスの兄弟たちは、主イエスに「ユダヤに行って自分を世にはっきり示しなさい」と語った。あなたは都エルサレムに上って行き、一度は離れて行ったあなたの弟子たちに、また世の多くの人々に、あなたの力ある業を示せと勧めた。ローマ帝国の役人や彼らと一緒になっているユダヤの王たち、神殿の指導者たちの目の前で、それらの業を行い、公然と自分の神の力を見せよと言ったのである。
しかし、主イエスはそれを明確に拒絶し、「わたしの時はまだ来ていない」と言われた。ここで「時」と訳されている言葉は、定められた時や好機(チャンス)を意味するカイロスという言葉である。しかし、その主イエスの時は必ず来る。それは主イエスの十字架、そして復活のときである。なぜなら、主イエスは十字架に死に、三日目に復活し、天へと上げられるお方であるからだ。それゆえ、十字架という苦難の死を通して、主イエスが神の御子であり、救い主であることが世にはっきりと示されるその時こそが、「主イエスの時」なのである
けれども、主イエスの兄弟たちは、主イエスがユダヤに行って、大勢の人の前で業を行えば世は主イエスをメシアとして受け入れるのではないかと考えたのである。この主イエスの兄弟たちの言葉の中に荒れ野でのサタンの誘惑と同じ響きを聞き取ることができる。主イエスの兄弟たちは、十字架という苦難の死を抜きにして、自分を世にはっきり示しなさいと主イエスを誘惑した、ということである。
しかし、主イエスは御自分の時を明確に弁えておられた。御自分がどのようにして神の御栄光を現すのかを知っておられたからである。