NEW! 2024.10.6 の週報掲載の説教

2024.10.6 の週報掲載の説教

<2024年8月18日説教から>

『聖書は主イエスを証しするものです』
       ヨハネによる福音書531節〜40
牧師 鈴木美津子

 
あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。(39)」
ユダヤ人たちは、聖書そのものの中に永遠の命があると考えて、聖書の一言一句を研究していた。聖書そのものの中に永遠の命があるのだから、聖書を研究し、それを現在に当てはめて、そこに従って生きるとき、永遠の命に生きることができると彼らは考えていたのだ。そうであれば、聖書を研究しているユダヤ人たちが、誰よりも先に、聖書が証しする主イエスを信じてもよさそうであるが、現実はそうはならなかった。ユダヤ人たちは命を得るために主イエスのところへ来ようとしないからである。なぜか。それは、聖書に取り組む姿勢そのものが間違っていたからだ。「聖書の中に永遠の命があるのではない。聖書が証しするお方である主イエス・キリストの内に永遠の命がある。」からだ。聖書を主イエスを証しする書物として読むこと。これこそが主イエスが教えてくださった正しい聖書の読み方である。

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は、どれも旧約聖書を経典の一つに持っている。けれども、その読み方はまったく異なる。キリストの教会は、旧約聖書をイエス・キリストを証しする書物として、読む。それが正しい旧約聖書の読み方だからである。なぜ、そのように言えるか。それは主イエス・キリストが十字架の死から三日目に栄光の体へと復活されたお方であるからだ。主イエスが、「聖書はわたしについて証しをするものだ」と言われるとき、それは何より主イエス御自身が、旧約聖書をそのように読まれたことを教えている。主イエス御自身が、旧約聖書を御自分について証しする書物として読み、苦難を通して栄光へと入るメシアとして歩まれた。そして、神が主イエス・キリストを三日目に復活させられたことは、主イエスの読み方が正しいものであったことを証ししている。さらに言えば、主イエスが正しく聖書を読み解くことができたことは、主イエスが聖書の究極的な著者である神、その方であることを証ししているである。

私たちは「イエス・キリストは主である」と告白し、神を「アッバ、父よ」と叫び祈ることのできる「神の子」とされ、聖霊の導きのもとに、聖書を、イエス・キリストを証しする書物として、さらにはイエス・キリストの御言葉として読むことができる。

【2月定期小会報 追伸】2024.2.25 の週報掲載

【2月定期小会報 追伸】2024.2.25 の週報掲載

奉   者
奏 楽   板垣玲子 三輪志都 田中愛

福音時報・家庭礼拝暦  國見照子

 
長老・執事役割分担
日曜学校長     鈴木美津子

(日曜学校教師   加藤純子 (補助 勝理恵)

(日曜学校説教者  日曜学校校長 教師 長老

元長老   伊木美穂子  増田裕子 松谷信司)

 
書 記   森﨑千恵 安井英子 田中愛

会 計    三浦勇二 菊地晴子 小出勝  (委嘱)野田昭子

 
礼  典   森﨑千恵        (委嘱) 國見照子 草野恵

共助金庫・タビタの会 菊地晴子

 
伝  道   鈴木美津子 森﨑千恵 薄田東正 新畑信 済陽高志

(委嘱)安井国雄

 
社会福祉  菊地晴子

教職福祉連絡委員  (担当者を決めず、牧師が直接連絡する)

 
会堂整備(OA機器) 三浦勇二(会計)小出勝 薄田東正

防  災   小出勝 執事会

 
図  書    安井英子

慶 弔   鈴木美津子 森﨑千恵 薄田東正

(委嘱)安井国雄 野田昭子

 
週報作成   鈴木美津子 安井英子 (委嘱)増田裕子 加藤純子

週報発送   森﨑千恵      (委嘱)伊木美穂子 野田昭子

 
讃美歌を歌う会  三浦勇二 薄田東正 田中愛 (委嘱)勝理恵

 
教会と国家  森﨑千恵 安井英子

 
情報発信・共有担当   薄田東正 小出勝  新畑信  田中愛

消耗品管理・購入     菊地晴子

 
浦和教会90周年記念事業委員 鈴木美津子 森﨑千恵 増田裕子

三浦勇二 安井国雄 松谷信司 伊木美穂子 安井英子