NEW! 2024.11.3 主日礼拝の案内

2024.11.3 主日礼拝の案内
週 報80巻44号 2024.11.3
 
イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、

イエスを信じて眠りについた人たちをも、

イエスと一緒に導き出してくださいます。

(テサロニケの信徒への手紙一4章14節)

 
主 日 礼 拝
<召天者記念礼拝・聖餐式>     午前 10:30                                                                                                                                   
奏楽 板
                 
<神の招き>
招 詞  ローマの信徒への手紙148節~9
8 わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。 
9 キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。
 
讃 詠  (21)83(1)聖なるかな
(1)
聖なるかな、 聖なるかな、
聖なるかな、 主なる神。
主の栄光は 地に満てり。
聖なるかな、 主なる神。
罪の告白と赦し 詩編1301節~8
1【都に上る歌。】
深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
2 主よ、この声を聞き取ってください。
嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
3 主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら
主よ、誰が耐ええましょう。
4 しかし、赦しはあなたのもとにあり
人はあなたを畏れ敬うのです。
5 わたしは主に望みをおき
わたしの魂は望みをおき
御言葉を待ち望みます。
6 わたしの魂は主を待ち望みます
見張りが朝を待つにもまして
見張りが朝を待つにもまして。
7 イスラエルよ、主を待ち望め。
慈しみは主のもとに
豊かな贖いも主のもとに。
8 主は、イスラエルを
すべての罪から贖ってくださる。
讃美歌 (21)4   世にあるかぎりの
(1)世にあるかぎりの ことばをもて
   恵みの勝利を たたえて歌わん。
(2)恵みのみ神よ、きよきみ名を
   伝うるわれらを 導きたまえ。
(3)恐れをとり去り、罪をゆるし、
   救いをもたらす 主イェスのみ名よ。
(4)暗きの力を やぶりて主は、
   血をもてわれらを 解きはなちたもう。
(5)まことのみことば 語りて主は、
   死にたる心を 生かしたまえり。
(6)「栄えはみ神に、今ものちも」
   聖徒らよ、教会よ、歌いて祝え。
<神の言葉>
聖 書
詩編901節~15(旧約P.929
1【祈り。神の人モーセの詩。】
主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
2 山々が生まれる前から
大地が、人の世が、生み出される前から
世々とこしえに、あなたは神。
3 あなたは人を塵に返し
「人の子よ、帰れ」と仰せになります。
4 千年といえども御目には
昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。
5 あなたは眠りの中に人を漂わせ
朝が来れば、人は草のように移ろいます。
6 朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい
夕べにはしおれ、枯れて行きます。
7 あなたの怒りにわたしたちは絶え入り
あなたの憤りに恐れます。
8 あなたはわたしたちの罪を御前に
隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。
9 わたしたちの生涯は御怒りに消え去り
人生はため息のように消えうせます。
10 人生の年月は七十年程のものです。
健やかな人が八十年を数えても
得るところは労苦と災いにすぎません。
瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。
11 御怒りの力を誰が知りえましょうか。
あなたを畏れ敬うにつれて
あなたの憤りをも知ることでしょう。
12 生涯の日を正しく数えるように教えてください。
知恵ある心を得ることができますように。
13 主よ、帰って来てください。
いつまで捨てておかれるのですか。
あなたの僕らを力づけてください。
14 朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ
生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。
15 あなたがわたしたちを苦しめられた日々と
苦難に遭わされた年月を思って
わたしたちに喜びを返してください。
 
テサロニケの信徒への手紙一413節~18節(新約P.377
13 兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。 
14 イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
15 主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。 
16 すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、 
17 それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。 
18 ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。
祈 り               
 
讃美歌 (21)493   いつくしみ深い
1)いつくしみ深い 友なるイエスは
うれいも罪をも ぬぐい去られる
悩み 苦しみを かくさず述べて
重荷のすべてを み手にゆだねよ
2)いつくしみ深い 友なるイエスは
われらの弱さを 共に負われる
嘆き 悲しみを ゆだねて祈り
つねに励ましを 受けるうれしさ
3)いつくしみ深い 友なるイエスは
愛のみ手により 支え みちびく
世の友 われらを 捨て去るときも
祈りに応えて なぐさめられる
アーメン
 
 
説  教  「死を忘れない」  鈴木 美津子
 
          
<神への応答>
讃美歌 (21)575   球根の中には
1. 球根の中には 花が秘められ
    蛹の中から 命羽ばたく
    寒い冬の中 春は目覚める
    その日 その時を ただ神が知る
    2.沈黙はやがて 歌に変えられ
    深い闇の中 夜明け近づく
    過ぎ去った時が 未来を拓く
    その日 その時を ただ神が知る
    3.命の終わりは 命の始め
    恐れは信仰に 死は復活に
    ついに変えられる 永遠の朝
    その日 その時を ただ神が知る
 
日本キリスト教会信仰の告白
わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは、
真の神であり真の人です。
主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、
人類の罪のため十字架にかかり、完全な犠牲をささげて、
あがないをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、
救いの完成される日までわたしたちのためにとりなしてくださいます。
 神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、
キリストにあって義と認められ功績なしに罪をゆるされ、
神の子とされます。また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、
信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。
この三位一体なる神の恵みによらなければ、
人は罪のうちに死んでいて、神の国に入ることはできません。
 旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、
主イエス・キリストを顕かに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です。
 教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、
主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、
終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。
 古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。
わたしたちもまた使徒的信仰の伝統にしたがい、
讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。
わたしは、そのひとり子わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリアから生まれ、
ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、
死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者のうちから復活し、
天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。
そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審(さば)かれます。
わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
聖餐式 (21)79    みまえに  われらつどい
(1)みまえにわれらつどい、
   ともにわかつみ糧を、
   世の光なる主のことばもて
     祝したまえ。
(2)み招きにこたえつつ
   あずかるさかずきをも、
   世の光なる主のことばもて
     祝したまえ。
(3)みわざをたたえうたい、
   みまえにつどう民を、
   世の光なる主のことばもて
     祝したまえ。
公 告  
 
献金感謝 
 
主の祈り
天にまします我らの父よ、
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
アーメン
 
 
頌 栄  (21)29    天のみ民も
天のみ民も、地にあるものも、
父・子・聖霊なる神をたたえよ、
とこしえまでも。
アーメン。
派遣と祝福
 
後 奏    
 
聖餐補佐  安井、三浦、森﨑、安井国
 
 
礼拝当番
(今週)森﨑 千恵
(次週)安井 英子
 
献金当番
(今週)國見 照子 白川 典子
(次週)青木節子 石井 ひろみ
 
ライブ配信当番
(今週)小出 勝
(次週)新畑 信

NEW! 2024.11.3~2024.11.9 の集会案内

2024.11.3~2024.11.9 の集会案内

      集 会

 
〇日曜学校                      9:00

 
〇コイノニア                     礼拝後

 
〇讃美歌を歌う会(どなたでも)            礼拝後

 
〇墓地礼拝(青葉園にて)               13:30

それぞれ昼食を済ませ、青葉園に集合してください。

車の手配は各自でお願いいたします。

 
今 週 の 集 会

◎祈祷題 「こども祝福式のため」11月10日(日)

 
〇聖書の学びと祈りの会 11月7日(木)10:00

エゼキエル書47章 担当 鈴木 美津子  司会  増 田 裕 子

 
牧師予定】

11月4(月・休) 映画「金福童」上映会 柏木教会

11月6日(水) 教会主催日帰りバスツアー

 
次 週 礼 拝 

<こどもとおとなの合同礼拝・こども祝福式>

 
説教「こどもを祝福する」    五十嵐 喜和

マルコによる福音書10章13節~16節

讃美歌                       三 輪  志  都

(21) 28、(21)6、こども讃美歌5、(21)493、(21)26

NEW! 2024.11.3 週報教会のお知らせ

2024.11.3 週報教会のお知らせ

ウェストミンスター小教理問答
問23. キリストは、私たちのあがない主として、どういう職務を

果されますか。

答 キリストは、私たちのあがない主として、預言者、祭司、王の

職務を、ヘリ下りと高挙とのどちらの状態においても果たされ

ます1。

1 使徒3:21~22, ヘブル12:25をⅡコリント13:3と比較せよ、

ヘブル5:5~7、7:25、詩2:6、イザヤ9:6~7、マタイ21:5、詩2:8~11

 
◇11月4日(月・休) 映画「金福童」上映会 13:30~16:00

日本軍「慰安婦」問題と取り組む会主催

 
◇11月6日(水) 教会主催日帰りバスツアー  教会8:30出発

星野富弘美術館、わたらせ渓谷鉄道ほか見学

 
◇今朝の地区清掃には、4名の有志の方が奉仕いたしました。

 
【神学校日献金のお願い】

各週報ボックスに献金袋を配布いたしました。献金とともに2名の神学生を覚えて、お祈りください。

NEW! 2024.11.3 の週報掲載の説教

2024.11.3 の週報掲載の説教

<2024年9月8日の説教から>

『わたしだ。恐れることはない』

ヨハネによる福音書6章16節~21節

牧師 鈴木美津子

 
ガリラヤ湖は、普段は穏やかな美しい湖であったが、時として深い谷から吹き下ろす強風のために天候が急変することで有名であった。この時も、夜、弟子たちがカファルナウムに向けて出発したときは、湖は穏やかであったが、その途上において、強い風が吹き、湖は荒れ始めた。弟子たちは、このとき死の危険、滅びの危険に直面していた。もし、舟が転覆してしまうようなことがあれば、彼らは溺れ死んでしまうからである。荒波を踏み砕かれ近づく主イエスは、恐れる弟子たちに「わたしだ。恐れることはない」と言われた。「わたしだ」とは、「わたしである」とも訳すことができる言葉で、その昔、神がモーセに知らせた御自身の名前と重なるものである。

弟子たちは、高波を踏み砕かれる主イエスの姿に、神の御力を見た。そして、さらに主イエスの口から、「わたしはある」ということを言われた。そうであれば、これはもう恐れるしかない。人間が生ける神の前に立つとき、抱く感情は恐れである。しかし、主イエスは「恐れることはない」と言われた。なぜなら、主イエスが荒波を踏み砕くようにして弟子たちに近づいて来られたのは、彼らを飲み込もうとしていた死と滅びの力から彼らを救うためであったからである。弟子たちは、荒れ狂う湖での危機的状況においてこそ、真の主イエスの姿、高波を踏み砕かれ、「わたしはある」と言われる神の御子としての主イエスに出会うことができたのである。主イエスは、死と滅びの中にある弟子たちにこそ、御自分が神の御子であることを決定的な仕方で示されたのである。

その「彼らはイエスを迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた」。このことは、私たちに何を教えているのか。それは、主イエスを迎え入れようとする信仰に生きるとき、私たちは必ず目指す地に到達するということ。主イエスを、海の高波を踏み砕くお方、「わたしはある」と言われる神その方として迎え入れる信仰に生きるとき、私たちは死と滅びから救われ、必ず目指す地へ到達するのだ。では、私たちが目指す地とは一体どこであるのか。それは究極的には、主イエスがおられる天の国である。主イエスを神の御子と信じるとき、私たちは強い風と荒波から救われ、必ず天の国へ入ることができるのである。