2024.8.11 主日礼拝の案内

2024.8.11 主日礼拝の案内
週 報80巻32号 2024.8.11
 
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとを

キリスト・イエスによって守るでしょう。(フィリピの信徒への手紙4章7節)

 
主 日 礼 拝
<平和祈念合同礼拝>午前 10:30
奏楽 板 垣 玲 子
 
<神の招き>
 
招 詞   ローマの信徒への手紙12章18節~21節
18 できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。 
19 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。 
20 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」 
21 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
 
讃 詠   28
みさかえあれや、父と子と聖霊に、
はじめも今も とわにかわらず、
み神に アーメン アーメン。
罪の告白と赦し 詩編32編1節~5節
1【ダビデの詩。マスキール。】
いかに幸いなことでしょう
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
2 いかに幸いなことでしょう
主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
3 わたしは黙し続けて
絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
4 御手は昼も夜もわたしの上に重く
わたしの力は
夏の日照りにあって衰え果てました。〔セラ
5 わたしは罪をあなたに示し
咎を隠しませんでした。
わたしは言いました
「主にわたしの背きを告白しよう」と。
そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを
赦してくださいました。
讃美歌  4
(1)世にあるかぎりの ことばをもて
   恵みの勝利を たたえて歌わん。
(2)恵みのみ神よ、きよきみ名を
   伝うるわれらを 導きたまえ。
(3)恐れをとり去り、罪をゆるし、
   救いをもたらす 主イェスのみ名よ。
(4)暗きの力を やぶりて主は、
   血をもてわれらを 解きはなちたもう。
(5)まことのみことば 語りて主は、
   死にたる心を 生かしたまえり。
(6)「栄えはみ神に、今ものちも」
   聖徒らよ、教会よ、歌いて祝え。
<神の言葉>
聖 書
イザヤ書55章6節~13節 (旧約P.1152)
6 主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。
呼び求めよ、近くにいますうちに。
7 神に逆らう者はその道を離れ
悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。
主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。
わたしたちの神に立ち帰るならば
豊かに赦してくださる。
8 わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると
主は言われる。
9 天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている。
10 雨も雪も、ひとたび天から降れば
むなしく天に戻ることはない。
それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
種蒔く人には種を与え
食べる人には糧を与える。
11 そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。
12 あなたたちは喜び祝いながら出で立ち
平和のうちに導かれて行く。
山と丘はあなたたちを迎え
歓声をあげて喜び歌い
野の木々も、手をたたく。
13 茨に代わって糸杉が
おどろに代わってミルトスが生える。
これは、主に対する記念となり、しるしとなる。
それはとこしえに消し去られることがない。
 
フィリピの信徒への手紙4章2節~9節(新約P.365)
2 わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。 
3 なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。
 4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。 
5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。 
6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 
7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
8 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。 
9 わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。
 
祈 り           森 﨑 千 恵
 
 
讃美歌  493
(1)いつくしみ深い 友なるイェスは
   うれいも罪をも ぬぐい去られる。
   悩み苦しみを かくさず述べて、
   重荷のすべてを み手にゆだねよ。
(2)いつくしみ深い 友なるイェスは
   われらの弱さを 共に負われる。
   嘆き悲しみを ゆだねて祈り
   つねに励ましを 受けるうれしさ。
(3)いつくしみ深い 友なるイェスは
   愛のみ手により 支え、みちびく。
   世の友われらを 捨てさるときも
   祈りに応えて なぐさめられる。
説  教
「そうすれば平和の神はあなたがたと共におられます」
鈴木 美津子
 
            
<神への応答>
 
讃美歌  543
使徒信条
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。
わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで
苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に
死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。
そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。
わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、
からだの復活、永遠のいのちを信じます。
アーメン。
公 告  
 
献金感謝 
 
主の祈り
天にまします我らの父よ、
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
アーメン
頌 栄  24
たたえよ、主の民、みつかいと共に、
恵みにあふれる 父・子・聖霊を。
アーメン
派遣と祝福
 
後 奏 
 
礼拝当番
(今週)三浦 勇二

(次週)済陽 高志

 
献金当番
(今週)増田 裕子 勝 理恵

(次週)安井 国雄 星野 勇

 
ライブ配信当番
(今週)小出 勝

(次週)新畑  信

2024.8.11~2024.8.17 の集会案内

2024.8.11~2024.8.17 の集会案内

      集 会
 
〇日曜学校                9:00
 
〇戦争体験を語る(志賀洋子、高橋廣子)  礼 拝 後
 
〇「みんなでかき氷」            同 上 後 
 
今 週 の 集 会
 
◎祈祷題「夏休み中の子どもたちの安全と健康のため」

 
〇聖書の学びと祈りの会    7月11日~9月12日まで休会

 
≪牧師予定≫

8月19日(月)13:00〜 キリスト教性教育研究会大会

御茶ノ水クリスチャンセンター

 
次 週 礼 拝 
説教
「聖書は主イエスを証しするものです」 鈴木 美津子
詩編119編126節~136編

ヨハネによる福音書5章31節~40節

 
讃美歌              田 中  愛 
83(1)、8、353、55、26

 
日曜学校説教     伊木 美穂子
主の祈り③日曜の糧、罪の赦し、試み

マタイによる福音書6章11節~13節

2024.8.11週報教会のお知らせ

2024.8.11週報教会のお知らせ

ウェストミンスター小教理問答。
問11. 神の摂理の御業とは、何ですか?

答 神の摂理の御業とは、神が、最もきよく1、賢く2、力強く、

すべての被造物とそのあらゆる動き4を保ち3、治めておられる4

ことです。

1 詩145:17   2 詩104:24、イザヤ28:29

3 へブル1:3  4 詩103:19、マタイ10:29~31

 
◇「みんなでかき氷」は、1階で行います。どなたもご自由にご参加
 ください。
 
◇讃美歌を歌う会は8月18日と8月25日に行います。

 
【2024年神学校一日神学校のお知らせ】
日時・場所:9月23日(月・休) 10:30~15:00 神学校

プログラム:午前10:35~11:50 チャペルにて

講義 「歴史神学の射程と方法」

講師  三輪地塩教師(歴史神学部門講師)

その後、昼食、礼拝、施設見学、神学生との交わり等

*申込は8月26日までにFAXまたはメールにて神学校に申込み。

2024.8.11 の週報掲載の説教

2024.8.11 の週報掲載の説教

<2024年6月23日の説教から>

霊と真理をもって行う礼拝
ヨハネによる福音書4章16節~26節

牧師 鈴木美津子

 
「霊と真理からなる礼拝」の「霊」は神の霊、聖霊を意味する。では「真理」とは何か。これについては大きく2つの解釈がある。一つは、「神の言葉」を指している。ヨハネ17章17節に「あなたの御言葉は真理です」とある。そして、もう一つは、「イエス・キリスト」御自身であるという解釈である。ヨハネ1章17節に「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである」とある。しかし、この二つの解釈は同じであるとも言える。なぜなら、イエス・キリストは神の言葉を話されるお方だからである。「霊と真理からなる礼拝」の「霊」が神の霊であり、「真理」が神の言葉であると聞くとき、私たちはここに、主イエスが与える「生きた水」が、神の霊と神の言葉を意味していたことを思い起こさずにはいられない。私たちは、主イエスから、生きた水である神の霊と神の言葉をいただいて、霊と真理をもって神を父として礼拝する者とされている。神が私たちを聖霊によって新しく生んでくださり、神の子としてくださった。それゆえ、私たちは神を「アッバ、父よ」と呼び、親しく礼拝することができるのである。そして、それはひとえに神の御意志によることである。神が霊と真理をもって礼拝する者たちを求めておられる。私たちに先立って神の方が求めておられる。それゆえ神は、愛する御子をこの地上にお遣わしになり、十字架の上で永遠の贖いを成し遂げてくださったのである。神の礼拝への熱心が、霊と真理からなるまことの礼拝を実現してくださったのである。「霊と真理からなる礼拝」。それは一言で言えば「聖霊においてイエス・キリストを通してささげられる礼拝」のこと。「聖霊においてイエス・キリストを通してささげられる礼拝」、それが「霊と真理からなる礼拝」である。それゆえエルサレムへ行く必要はない。主イエスの名によって集まる私たちを、神の方から訪れてくださるからである。聖霊と御言葉によって、神が私たちをまことの礼拝者へと造り変えてくださる。

 
まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である(23)」。主イエスのこの言葉は、今私たちのうえに実現している。

2024.8.4週報教会のお知らせ

2024.8.4週報教会のお知らせ

ウェストミンスター小教理問答。
問10. 神は人を、どのように創造されましたか?

答 神は人を、男性と女性とに、知識と義と聖において御自身の

かたちにしたがって創造し、被造物の支配を託されました1。

1  創世1:26~28、コロサイ3:10、エペソ4:24

 
◇ヤスクニ・社会問題委員会第一回学習会のお知らせ

日時:8月8日~9日(木~金)

場所:福島の原発関連のフィールドワーク

講師:大島博幸(日本バプテスト連盟福島主のあしあと教会牧師)

 
◇猛暑が続いています。礼拝の前後に必ず水分補給をお忘れなく!

2024.8.4 の週報掲載の説教

2024.8.4 の週報掲載の説教

<2024年6月16日の説教から>

「永遠の命に至る水」

ヨハネによる福音書4章1節~15節

牧師 鈴木美津子

主イエスがサマリアの町を通られたのは、そこに必然的な理由があった。ただ、その理由が何であったかは記されていない。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないことになっていたので、わざわざそのようなところを通って、ユダヤからガリラヤに向かう必然性は普通には考えられない。けれども、ユダヤ人たちから見れば呪われたようなサマリアに、主イエスはわざわざ立ち寄られたのである。

サマリアの地に罪に悩む一人の女性がいた。その女性を主イエスは、シカルの「ヤコブの井戸」のほとりで待っておられた。そして、彼女に水を求めた。しかし、主イエスがこの女性に水を求めたのは、話のきっかけを得るため、井戸の水をきっかけに、永遠の命に至る水のことを語るためである。しかも、ユダヤ人からすれば救いとはおよそ無関係と思われるサマリア人の、しかも、罪深いと噂される女性を相手に語ったのである。

主イエスにとって、永遠の命に至る水を必要としているのは、ユダヤ人ばかりではない。罪の中にいるすべての人がそうであるからだ。私たちの心が決して渇くことがなくなる道は、わたしたちの心の中心に主イエスをお迎えすることである。主イエスは、私たちの罪の赦しのための神の贈り物。私たちの、いいようのない不安、恐れ、空しさの源である私たちの罪を解決し、覆って下さるお方である。このお方は、神の子であるにもかかわらず、私たちの代わりに、十字架にかかり、神の裁きを受け、私たちが味わう全ての暗黒と苦悩をすべて引き受けて下さった。そのお方が「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(14)」と、言われる。このことは真実である。主イエスが下さる特別の水、救いの水、命の水を受けるならば、その人の内からも永遠の命に至る水が湧き出る。その水は、人の目には見ることはできない。しかし、主イエスを受け入れた人からは、必ず流れ出るのである。主イエスは、わたしたちに決して渇くことのない命の水を与えてくださる。ここで主イエスが語られたのは礼拝のことである。霊と真理をもって捧げる礼拝、その中心に生きた水である主イエスご自身がおられると言われたのである。

今や、ユダヤとサマリアの壁を超えて、一人のサマリアの女性は、主イエスに生きた水をくださいと願う者とされた。主イエスが出会ってくださったからである。