2024.8.25 の週報掲載の説教

2024.8.25 の週報掲載の説教

<2024年7月7日の説教から>

  『自分で聞いて信じた』
ヨハネによる福音書4章27-42節

牧師 鈴木 美津子

 
この箇所は、伝道ということについて、さまざまなことを示唆してくれる箇所。ヨハネ福音書に基づいて言えば、サマリア伝道の始まりは主イエスと一人の女性との小さな対話からである。このように伝道は一対一の対話というのが基本である。次に伝道というのは、まず伝えられた人自身がつくり変えられることから始まる。サマリアの女性はもともと、この井戸に水くみにやってきた。ところが、彼女は、その本来の仕事を忘れ、水がめを置いて町に行ってしまった。イエス様との出会いそして対話は大切な水がめを置き忘れさせるほどに、彼女を驚愕させたのだ。この驚きは恐怖ではない。彼女の心が喜びで弾んでいるのだ。このことを誰かに伝えたい。誰かに伝えずにはいられない。彼女はもともと人目を避けて生きてきた。人目を避けて真っ昼間に水を汲みに来ていた。ところが今や、そんなことさえ、どうでもよくなってしまったのだ。主イエスとの出会いが、それほどまでに彼女を変え、恥ずかしさをも克服させた。自分から人の中へ飛び込んでいった。彼女に人との隔ての壁をうち破らせたのである。
福音を伝える人が「喜びで心が弾んでいる」というのは、とても大事なことである。伝えられたことに魅力があるかどうかということだからである。あの人が、あんなに喜びに満ちているのは、いったい何なのだろう。何があの人の表情をあんなに明るくさせたのだろう。何があの人を変えたのだろう。それを知りたい。そのようになりたい。そういうことがなければ、人は関心をもたない。この時のサマリアの人たちも、それまでこそこそと人目を避けていた彼女とはまるで別人のような、明るい表情、はじけるような喜びに満ちた女性が目の前に現れたのを見て、そのような気持ちをもったのだ。だからこそ、「人々は町を出て、イエスのもとへやって来た」のである。彼女は、「さあ、見に来てください」と主イエスを指し示し、人々を主イエスに出会わせようとした。これも大切なことである。伝道において最終的に大事なことは、「私がこのように変えられた。私はこのように生かされている」ということではない。「私を変えたのはこのお方、私を生かしているのはこのお方である」と、主イエスを指し示すことである。