2024.8.11 の週報掲載の説教

2024.8.11 の週報掲載の説教

<2024年6月23日の説教から>

霊と真理をもって行う礼拝
ヨハネによる福音書4章16節~26節

牧師 鈴木美津子

 
「霊と真理からなる礼拝」の「霊」は神の霊、聖霊を意味する。では「真理」とは何か。これについては大きく2つの解釈がある。一つは、「神の言葉」を指している。ヨハネ17章17節に「あなたの御言葉は真理です」とある。そして、もう一つは、「イエス・キリスト」御自身であるという解釈である。ヨハネ1章17節に「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである」とある。しかし、この二つの解釈は同じであるとも言える。なぜなら、イエス・キリストは神の言葉を話されるお方だからである。「霊と真理からなる礼拝」の「霊」が神の霊であり、「真理」が神の言葉であると聞くとき、私たちはここに、主イエスが与える「生きた水」が、神の霊と神の言葉を意味していたことを思い起こさずにはいられない。私たちは、主イエスから、生きた水である神の霊と神の言葉をいただいて、霊と真理をもって神を父として礼拝する者とされている。神が私たちを聖霊によって新しく生んでくださり、神の子としてくださった。それゆえ、私たちは神を「アッバ、父よ」と呼び、親しく礼拝することができるのである。そして、それはひとえに神の御意志によることである。神が霊と真理をもって礼拝する者たちを求めておられる。私たちに先立って神の方が求めておられる。それゆえ神は、愛する御子をこの地上にお遣わしになり、十字架の上で永遠の贖いを成し遂げてくださったのである。神の礼拝への熱心が、霊と真理からなるまことの礼拝を実現してくださったのである。「霊と真理からなる礼拝」。それは一言で言えば「聖霊においてイエス・キリストを通してささげられる礼拝」のこと。「聖霊においてイエス・キリストを通してささげられる礼拝」、それが「霊と真理からなる礼拝」である。それゆえエルサレムへ行く必要はない。主イエスの名によって集まる私たちを、神の方から訪れてくださるからである。聖霊と御言葉によって、神が私たちをまことの礼拝者へと造り変えてくださる。

 
まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である(23)」。主イエスのこの言葉は、今私たちのうえに実現している。