2024.6.2 の週報掲載の説教

2024.6.2 の週報掲載の説教

<2024年4月14日説教>

『カナでの婚礼の奇跡 −水をぶどう酒に−』

ヨハネによる福音書1章43節~51節

 
牧 師 鈴木美津子

 
事の起こりは、ぶどう酒が足りなくなったので、母マリアが主イエスに、「ぶどう酒がなくなりました(3)」、と言ったことにある。ぶどう酒が底をついたのだ。この時代の婚礼は、通常一週間続く大きなイベントで、その喜びを祝う席でぶどう酒がなくなった場合、ホスト側の面目は丸潰れであったのだ。

水をぶどう酒に変えられた奇跡、これをヨハネ福音書は、「最初のしるし」と語る。ヨハネ福音書は、主イエスの数あるしるしの中から7つのしるしを選んで伝えているが、その「最初のしるし」が、このガリラヤのカナの婚礼で行われた水をぶどう酒に変えるという奇跡であった。ヨハネ福音書は、主イエスの奇跡を「しるし」と呼ぶ。それは、水をぶどう酒に変えられたという奇跡が、主イエスがどのようなお方であるかを指し示しているものであるからだ。主イエスが水をぶどう酒に変えられた。そのこと事態、驚くべきことであるが、ただそのことに留まっているだけでは、「イエスを信じた」という信仰へ到達することはない。事実、ここに登場する召し使いたちは、それがどこからきたかを知っていながら、主イエスを信じるには至っていないからである。ヨハネ福音書は、「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された」と語る。「その栄光」とは、もとの言葉では「彼の栄光」、つまり主イエス御自身の栄光である。水をぶどう酒に変える奇跡に、主イエスの栄光を見ることができるかどうか。そのことが、主イエスを信じる信仰へと至るかどうかの分かれ目となるのである。弟子たちはこの奇跡を単なる不思議な業としてではなく、主イエスの栄光を現す「しるし」として見ることができた。それゆえ、弟子たちは主イエスがメシアであることをさらに深く、確かなこととして信じることができたのである。

主イエスは、ガリラヤのカナにおいて、その栄光を現してくださった。そして今も、主の日の礼拝において、御自身の栄光を現してくださる。私たちは主の日の礼拝毎に、主イエスの栄光を仰ぐことができるのである。そのようにして、主イエスは今もそしてこれからも信じる者たちを起こし、私たちの信仰を深め、確かなものとしてくださるのである。