2024.5.26 主日礼拝の案内

2024.5.26 主日礼拝の案内
週 報80巻21号 2024.5.26
 
あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。

(ヨハネによる福音書3章30節)

 
主 日 礼 拝     午前 10:30                                                                      
奏楽  板垣 玲子
 
<神の招き>
招 詞   ローマの信徒への手紙12章1節~2節
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。
これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。
むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、
何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを
わきまえるようになりなさい。
 
讃 詠   *545A 
父の御神に、み子に、きよき御霊に、
むかしながらのみさかえあれや、
ときわに、アーメン、アーメン
罪の告白と赦し 詩編51編12節~21節
12 神よ、わたしの内に清い心を創造し
新しく確かな霊を授けてください。
13 御前からわたしを退けず
あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
14 御救いの喜びを再びわたしに味わわせ
自由の霊によって支えてください。
15 わたしはあなたの道を教えます
あなたに背いている者に
罪人が御もとに立ち帰るように。
16 神よ、わたしの救いの神よ
流血の災いからわたしを救い出してください。
恵みの御業をこの舌は喜び歌います。
17 主よ、わたしの唇を開いてください
この口はあなたの賛美を歌います。
18 もしいけにえがあなたに喜ばれ
焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら
わたしはそれをささげます。
19 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。
打ち砕かれ悔いる心を
神よ、あなたは侮られません。
20 御旨のままにシオンを恵み
エルサレムの城壁を築いてください。
21 そのときには、正しいいけにえも
焼き尽くす完全な献げ物も、あなたに喜ばれ
そのときには、あなたの祭壇に
雄牛がささげられるでしょう。
 
讃美歌  *91
とこしえの神は みちからもて
日月をみちびき 花を咲かせ、
小さきものをも たえずまもり、
世界のもろびと 顧みたもう。
真にいます神よ みことばもて、
まよいの闇をば はらいのぞき、
すべての科学を みちびきつつ、
ひかりの御国を 来させたまえ。
美にいます神よ みすがたをば、
芸術のうちに 奇しくしめし、
みにくき心を ぬぐい去りて、
われらを清けく 生かしたまえ。
善にいます神よ 愛と義もて
聖なる御国を 地にうちたて、
あまねく世人の むねのうちに、
主イェスの姿を 成らせたまえ。
 
<神の言葉>
聖 書  
詩編34編1節~11節 (旧約P.864)
1【ダビデの詩。ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに。】
2 どのようなときも、わたしは主をたたえ
わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。
3 わたしの魂は主を賛美する。
貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。
4 わたしと共に主をたたえよ。
ひとつになって御名をあがめよう。
5 わたしは主に求め
主は答えてくださった。
脅かすものから常に救い出してくださった。
6 主を仰ぎ見る人は光と輝き
辱めに顔を伏せることはない。
7 この貧しい人が呼び求める声を主は聞き
苦難から常に救ってくださった。
8 主の使いはその周りに陣を敷き
主を畏れる人を守り助けてくださった。
9 味わい、見よ、主の恵み深さを。
いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
10 主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。
主を畏れる人には何も欠けることがない。
11 若獅子は獲物がなくて飢えても
主に求める人には良いものの欠けることがない。
 
ヨハネによる福音書3章22節~30節 (新約P.168)
22 その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた。 
23 他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである。人々は来て、洗礼を受けていた。 
24 ヨハネはまだ投獄されていなかったのである。 
25 ところがヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こった。 
26 彼らはヨハネのもとに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています。」 
27 ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。 
28 わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。 
29 花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。 
30 あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」
 
 
祈 り        森 﨑 千 恵
 
 
讃美歌  *312
1.
いつくしみ深き 友なるイエスは、
罪とが憂いを とり去りたもう。
こころの嘆きを 包まず述べて、
などかは下ろさぬ、負える重荷を
2.
いつくしみ深き 友なるイエスは、
われらの弱きを 知れて憐れむ。
悩みかなしみに 沈めるときも、
祈りにこたえて 慰めたまわん。
3.
いつくしみ深き 友なるイエスは、
かわらぬ愛もて 導きたもう。
世の友われらを 棄て去るときも
祈りにこたえて、労わりたまわん。
 
 
説  教  「喜びに満たされる」鈴木 美津子
 
 
<神への応答>
 
讃美歌  *346
たえにうるわしや ヤコブより出でし
あしたの星よ、
たえにしたわしや ダビデのすえなる
すくいのきみよ。
主よ、主よ、うえなきとうとき御名をば
なににかはたとえん。
さかえにかがやく きみのみことばは
日よりまばゆく、
めぐみにあふるる きみのみことばは
こよなくあまし。
主よ、主よ、わすれもえがたきみいつを
いかにほめまつらん。
使徒信条
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。
わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで
苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に
死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。
そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。
わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、
からだの復活、永遠のいのちを信じます。
アーメン。
公 告  
 
献金感謝 
 
主の祈り
天にまします我らの父よ、
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
アーメン
頌 栄  *544
あまつみたみも、
地にあるものも、
父、子、みたまの
かみをたたえよ。
派遣と祝福
 
後 奏  
 
礼拝当番
(今週)三浦 勇二

(次週)松谷信司

 
献金当番
(今週)安井 国雄 星野 勇

(次週)薄田 東正 草野 恵

 
ライブ配信当番
(今週)新畑 信

(次週)小出 勝

2024.5.26~2024.6.1 の集会案内

2024.5.26~2024.6.1 の集会案内
      集 会
 
〇日曜学校          9:00

〇日曜学校教師会       礼拝後

〇讃美歌を歌う会       礼拝後

今 週 の 集 会
 
◎祈祷題「戦いの地に一日も早く平和がもたらされるため」
 
〇聖書の学びと祈りの会    5月30日(木) 10:00
エゼキエル書36章(担当 鈴木 美津子) 司会 森 﨑 千 恵
 
≪牧師予定≫ 
・北関東教職者会(南浦和教会11:00~)

・5月28日(火)『慰安婦』問題オンライン学習会

 
次 週 礼 拝
< 聖 餐 式 >
 
説教「上から来られる方」  鈴木 美津子
イザヤ書63章15節~19節

ヨハネによる福音書3章31節~36節

 
讃美歌        田 中  愛
28、7、360、296、72,24 
 
日曜学校説教「救われるのはイエス・キリストによって」
使徒言行録4章1節~14節         鈴木 美津子

2024.5.26 週報教会のお知らせ

2024.5.26 週報教会のお知らせ
【「慰安婦」問題と取り組む会からのお知らせ】
日時:5月28日(火)10時~11時30分

日本軍「『慰安婦』問題オンライン学習会」がオンラインで開催

します。

 
◇お知らせ
6月2日(日)から、礼拝後に「ウエストミンスター信仰問答」を

問1から1問ずつ週報に記載し、鈴木牧師が開設いたします。

 
◇めぐみのあと
先週19日のペンテコステ礼拝では、志賀裕さんが信仰50年の

お祝いを受けられました。

その後、方言で読む聖書箇所を当てるゲームを楽しみました。

 

2024.5.26 の週報掲載の説教

2024.5.26 の週報掲載の説教
<2024年4月7日説教>

『来て、見なさい』

ヨハネによる福音書1章43~51節

牧 師 鈴木美津子

 
いつの時代にあっても、主イエスを人々に証しする時には、実に冷ややかな反応に出遭うことが多い。なぜなら、キリスト教に対する「誤解」や「先入観」などで、なかなか人々にキリストの福音の素晴らしさを知ってもらえないのである。この時のフィリポもそうであった。この時フィリポは、ナタナエルに「来て、見なさい(46)」と言った。どんなに素晴らしい証しの言葉をもって主イエスについて語ったとしても、受け入れてもらうことは難しい。だから、フィリポは真の主イエスを知ってもらうためには、ナタナエルを主イエスのもとに連れていけば良いと考えたのである。今の時代であれば、「教会に来て、見てください」とお誘いすることである。教会は「礼拝」をする場所であり、そこで人々は神を喜んで賛美し、神の言葉に真剣に耳を傾ける。そのような「礼拝」の中に、主イエスは臨在しておられる。

フィリポに促され、主イエスのもとにやってきたナタナエルの心の中を、既に主イエスは知っておられた。ナタナエルは「この方に知られている」「この方に捉えられている」ということに気づき驚いた。そして「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」という告白に導かれた。人が「イエスはメシアである」と信じ従うようになるのは、主イエスが、まずその人を見出し、声をかけてくださることによる。私たちは「自分で選び、自分で決めて教会に足を踏み入れた」と思っているかも知れない。しかし、まず神が自分を知り、見出して導いてくださったのである。私たちは、その真実を、後になって知ることになる。なぜなら、生けるキリスト、生ける聖霊の働きは私たちにとって「後で分かる」ようなものだからである。

ナタナエルの信仰告白を聞き、主イエスは「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる(50)」と言われた。「イエスはメシアである」と信じる告白は、信仰の出発点であり、そこからますます確かな信仰に導かれていくのだということを、主イエスは信じる者に約束してくださっている。「信じます」という告白は、「神との交わり」「神の恵みを知ること」の始まりに過ぎない。私たちは、そこから神との交わりが深められ、ますます多くの恵みを知るように導かれていくのである。