2023.10.8 週報教会のお知らせ

2023.10.8 週報教会のお知らせ
◇10月29日(日) 10時30分~ オープンチャーチ合同礼拝
午後は昼食、ミニバザーをします。現在のところ、サンドイッチ、

飲み物(セルフのコーヒー・紅茶など)、海産物、カードなど予定。

その他ミニバザーに出店ご希望の方は、ご相談ください。

(担当 薄田東正)

◇酷暑のため暫く休んでおりました花壇の手入れを再開したいと

思います。礼拝後や祈祷会後にご都合の宜しい方で、除草作業を

いたしますので、ご協力宜しくお願いします。

 
【特別献金について】
特別献金とは東京中会伝道局が行っている伝道所の伝道援助、応援伝道、集中伝道、問安、伝道協議会の活動のための献金です。

東京中会伝道局の働きを覚えて祈り、その必要が満たされ、伝道が

前進しますようご協力をお願いいたします。

 

2023.10.8 の週報掲載の説教

2023.10.8 の週報掲載の説教
<2023年7月30日説教から>

『一つの体を形づくる』

ローマの信徒への手紙12章3節~8節

牧 師 鈴木美津子

 
パウロは、キリストを信じる者たちが形づくる共同体、つまりキリストの体なる教会の中では、「自分を過大に評価してはなりません(3b)」と命じる。自分自身に過大な評価をして、他の人を蔑まないように、謙虚な心を持つようにと命じているのである。しかし、これは「自分を評価する時に、控えめに評価せよ」ということではない。それは言うまでもなく、恵みを与えくださる神ご自身を否定しているのと同じだからである。それは他の人に対しても同様である。そうであるから、パウロは「むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべき(3c)」である、と語るのである。人間のはかりではなく、信仰のはかりにしたがって、しかも神が与えくださった信仰のはかりにしたがって、慎み深く各自を評価するようにと命じているのである。

これを語るパウロには、教会という共同体が、キリストを頭とした一つの体とする思いがある。人間の体というのは、さまざまな部分から成り立っている。体には手があり、足があり、手には指があり、顔には目や鼻や口があるように、教会に集う一人一人のキリスト者も、そのように一つの体なる教会を造り上げている。しかも、一つの体を構成している部分は多様な部分からなっているが、それぞれの部分同士を比較して、どちらの方が優れている、またどちらの方が劣っている、とは言えない。むしろ、それぞれの部分が互いに他を必要としているからこそ、一つの体としてもっともよく機能していくことができるのである。このようにキリストを信じる者たちが、互いに他を必要とする体の部分であるという認識を持っていれば、そこには傲慢な思いも、蔑む思いも生まれて来るはずがないはずである。だからこそ、互いがそれぞれに自分に与えられた責任を果たすことで、一つの体としてもっともよく成長できることを覚える必要があるのだ。
教会は、キリストを頭として一体性と多様性をバランスよく保ちながら豊かに成長していく共同体である。そして、そのような共同体を自分もまた構成している一人一人であることを謙虚に自覚し、互いに対して果たすべき責任を深く思うことが大切なのである。パウロは、6節以下で、それぞれに与えられる賜物について記しているが、私たちはその賜物を各々慎み深く思い、一つの体なる教会を形づくるために用いていきたいと願うのである。

2023.10.1 主日礼拝の録画映像

2023.10.1 主日礼拝の案内
 
主 日 礼 拝   2023.10.1 午前 10:30
      スマホおよびPADでも視聴できます!
YouTube
 
URL;      https://youtube.com/live/t6uZMnwLuoU
 
 
浦和教会 礼拝ホール上記,下線の部分をクリックしてください。
YouTubeが立ち上がります。
      スマホおよびPADでも視聴できます!
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2023.10.1 主日礼拝の案内
週 報79巻40号 2023.10.1
わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。(ローマの信徒への手紙14章8節)

 
主 日 礼 拝     午前 10:30
< 聖 餐 式 >                                                                                                                                
奏楽  田 中  愛
 
<神の招き>
 
招 詞   ヨハネによる福音書13章34節
 
34   あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
 
*讃 詠   545A
父の御神に、み子に、きよき御霊に、
むかしながらの御栄えあれや、
ときわに、アーメン、アーメン
*罪の告白と赦し 交読詩編 143編1節~6節
1 【賛歌。ダビデの詩。】
主よ、わたしの祈りをお聞きください。
嘆き祈る声に耳を傾けてください。
あなたのまこと、恵みの御業によって
わたしに答えてください。
あなたの僕を裁きにかけないでください。
御前に正しいと認められる者は
命あるものの中にはいません。
敵はわたしの魂に追い迫り
わたしの命を地に踏みにじり
とこしえの死者と共に
闇に閉ざされた国に住まわせようとします。
わたしの霊はなえ果て
心は胸の中で挫けます。
わたしはいにしえの日々を思い起こし
あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し
御手の業を思いめぐらします。
あなたに向かって両手を広げ
渇いた大地のようなわたしの魂を
あなたに向けます。
 
*讃美歌    11(1-4)
1 あめつちにまさる かみのみなを
ほむるにたるべき こころもがな。
2 おごらず、てらわず へりくだりて、
わが主のみくらと ならせたまえ。
3 生くるも死ぬるも ただ主をおもう
ゆるがぬこころを あたえたまえ。
4 こころきよめて 愛をみたし、
わが主のみすがた ならせたまえ。
アーメン
 
<神の言葉>
聖 書  申命記32章36節~42節    (旧約P.334)
36 主は御自分の民の裁きを行い
僕らを力づけられる。
主が見られるからである
彼らの力がうせ去り
未成年者も成人した者もいなくなったのを。
37 主は言われる。「どこにいるのか、彼らの神々は。
どこにあるのか、彼らが身を寄せる岩は。
38 彼らはいけにえの脂肪を食らい
注がれた酒を飲んだではないか。
さあ、その神々に助けてもらえ
お前たちの避け所となってもらえ。
39 しかし見よ、わたしこそ、わたしこそそれである。
わたしのほかに神はない。
わたしは殺し、また生かす。
わたしは傷つけ、またいやす。
わが手を逃れうる者は、一人もない。
40 わたしは手を天に上げて誓う。
『わたしの永遠の命にかけて
41 きらめく剣を研ぎ、手に裁きを握るとき
わたしは苦しめる者に報復し
わたしを憎む者に報いる。
42 わたしの矢を血に酔わせ
わたしの剣に肉を食らわせる。殺された者と捕らえられた者の血を飲ませ
髪を伸ばした敵の首領の肉を食らわせる。』」
 
ローマの信徒への手紙14章7節~9節(新約P.294)
7 わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。 
8 わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。 
9 キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。
 
祈 り                 
 
*讃美歌  326(1-4)                                         
1 ひかりにあゆめよ、さらばふかき
みたまのまじわり たえずぞあらん。
2 ひかりにあゆめよ、さらばまたと
この世のけがれに そまずぞあらん。
3 ひかりにあゆめよ、さらばくらき
谷間をゆくとも、やすくぞあらん。
4 ひかりにあゆめよ、さらば墓も
くちざるさかえの かどとぞならん。
アーメン                                                                                                                  
 
説  教   「生きるにしても、死ぬにしても私たちは主のものです」
                    鈴木 美津子
 
<神への応答>
 
*讃美歌   339(1-3)
1 君なるイエスよ、けがれしわれを
洗いきよめて めぎみを賜え。
わが日わが時 わがもの皆は
今よりとわに 君のものなり。
2 わが手は君の み業をならい、
われの歩みは み跡をふみて、
いそしみ進み、主のみちからに
常にたよりて 強からしめよ。
3 われらの舌をば すくいの主の
恵みをうたう 器となして、
わがくちぶるに よき音ずれを
あふるるばかり みたしたまえ。
アーメン
 
*日本キリスト教会 信仰の告白
わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは、真の神であり真の人です。

主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、人類の罪のため十字架にかかり、完全な犠牲をささげて、あがないをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、救いの完成される日までわたしたちのためにとりなしてくださいます。

神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ功績なしに罪をゆるされ、神の子とされます。

また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。

この三位一体なる神の恵みによらなければ、人は罪のうちに死んでいて、神の国に入ることはできません。

旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕かに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です。

教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。

古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。わたしたちもまた使徒的信仰の伝統にしたがい、讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。

わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。わたしは、そのひとり子わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審(さば)かれます。

わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。

 
聖餐式  (Ⅱ)179
公 告  
 
*献金感謝 
 
*主の祈り(座席前そなえつけ) 
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
*頌 栄   544
あまつみたみも ちにあるものも
ちちこみたまの かみをたたえよ
かみをたたえよ
アーメン
*派遣と祝福
 
*後 奏  
 
☆讃美歌の歌う節は( )内に示した節です。

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今こそ私たちの祈りを結集させ、

主により頼みつつこの難局を乗り切りましょう。

主の守りと支えとが、これまで同様、今も、永遠に *******************************************************