週 報 76 巻 8 号 2021.2.21
しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。
(ルカによる福音書11章20節)
主 日 礼 拝 2021.2.21 午前10:30
<レントⅠ>
奏楽 岩 本 道 子
<神の招き>
招 詞 ヨハネによる福音書4章23節
*讃 詠 545A
*罪の告白と赦し 交読詩編92編13節~16節
*讃美歌 15〔1-2〕
<神の言葉>
聖 書 詩編8編4節~10節(旧約P.840)
ルカによる福音書11章14節~26節
(新約P.128)
祈 り
*讃美歌 517〔1-2〕
説 教 「ベルゼブル」 三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 191〔1-2〕
公 告
*主の祈り
*頌 栄 541
*派遣と祝福
*後 奏
「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は
お座りのままでどうぞ。
礼拝当番(今週)野田昭子
(次週)済陽高志
2021.2.21 週報 教会からのお知らせ
2021.2.21 週報 教会からのお知らせ
◇女性会員の週報ボックスに2021年度の連絡網表を配布
いたしました。出席できない方には週報などと共にお送
りする予定です。
◇総会も終わり教会の新しい年が始まりました。
今年も維持献金、感謝献金、大中会負担金と共に共助金庫、
会堂改修など自由献金もお覚え下さり、ご協力を宜しく
お願い致します。
《対面礼拝についての注意》
1.教会内に入るときには、玄関での手指消毒、マスクの
着用を必ずお願いします。
2.人との会話の際はマスクを着用していてもソーシャル
ディスタンスをお取りください。
◇女性会員の週報ボックスに2021年度の連絡網表を配布
いたしました。出席できない方には週報などと共にお送
りする予定です。
◇総会も終わり教会の新しい年が始まりました。
今年も維持献金、感謝献金、大中会負担金と共に共助金庫、
会堂改修など自由献金もお覚え下さり、ご協力を宜しく
お願い致します。
《対面礼拝についての注意》
1.教会内に入るときには、玄関での手指消毒、マスクの
着用を必ずお願いします。
2.人との会話の際はマスクを着用していてもソーシャル
ディスタンスをお取りください。
2021.2.21~2.27 集会案内
本 日 の 集 会 2021.2.21
〇「教会員の生活」による学びの会 休 会
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇コイノニア 中 止
〇礼拝堂・1階の消毒(有志) 礼 拝 後
〇執事会 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題 「教会員の健康が守られるように
・教会の新しい歩みのために」
〇聖書の学びと祈りの会 2月25日(木)10:00
歴代誌下29章(担当 三輪地塩)司会 伊木 美穂子
※午前の祈祷会は「LINE」で行ないます。
午後の「聖書の学びと祈りの会」及び「生と死」の学びは
暫く休会とします。
次 週 礼 拝
<レントⅡ>
説教 「人々はしるしを欲しがる」三 輪 地 塩
ヨナ書3章1節~10節
ルカによる福音書11章27節~32節
讃美歌
545B、18(1-2)、177(1-2)、217(1-2)、542
三 輪 志 都
〇「教会員の生活」による学びの会 休 会
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇コイノニア 中 止
〇礼拝堂・1階の消毒(有志) 礼 拝 後
〇執事会 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題 「教会員の健康が守られるように
・教会の新しい歩みのために」
〇聖書の学びと祈りの会 2月25日(木)10:00
歴代誌下29章(担当 三輪地塩)司会 伊木 美穂子
※午前の祈祷会は「LINE」で行ないます。
午後の「聖書の学びと祈りの会」及び「生と死」の学びは
暫く休会とします。
次 週 礼 拝
<レントⅡ>
説教 「人々はしるしを欲しがる」三 輪 地 塩
ヨナ書3章1節~10節
ルカによる福音書11章27節~32節
讃美歌
545B、18(1-2)、177(1-2)、217(1-2)、542
三 輪 志 都
2021.2.21 の週報掲載の説教
<2019年11月17日の説教から> ペトロの手紙Ⅱ 3章14節~18節 『堅固な足場を失わず』 牧師 三輪地塩 「わたしたちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい」と言われる。ここにある「忍耐深さ」とは「痛み」や「苦難」と言い換えることも出来る。その苦難こそが我々の救いであるとペトロは言う。キリストの忍耐は「我々への愛」としての忍耐に他ならない。キリストの愛こそ救いの根源であると著者ペトロは述べている。 ここにはペトロの手紙Ⅱのテーマ「偽教師に気を付けろ」が出てくる。使徒パウロが信徒たちに伝えてきたのは、ルターの言葉を使うならば「信仰義認」である。行いによってではなく、信仰によって義とされる。罪深い我々であっても、信仰によって正しい者と見做されるというのがパウロの使信の中心だ。だが「偽教師」と言われている、恐らくユダヤ教的キリスト者と考えられるこの偽教師集団は、信仰義認ではなく「行為義認」によって救われると説いていた。 そこで本書簡の著者(とされる)ペトロは、信仰の先達であり、キリスト教神学の創始者パウロのメッセージを、曲解したり、ねじ曲げたりしてはならないと注意喚起する。聖書の端々から、自分の好きな部分を抜き取り、自分の都合の良いように繋ぎ合わせて、継ぎ接ぎの信仰にしてしまう間違った読み方はいけないと警告する。聖書は「繋ぎ合わせ」ではなく、全体として「正しく読む」ことが必要だ。17節の「堅固な足場」とは、まさに正しく聖書を読むことの大切さを言っている。 聖書全体を理解することについて、注解者パーキンスは次のように言う。「聖書を読む、という行為は、まるで子どもたちが、ごちゃ混ぜになったおもちゃ箱からおもちゃを取り出すようなものである。それはただごちゃ混ぜになっているように見えながら、子どもたちは、その箱のどの部分に何があり、おもちゃ箱全体がどうなっているかを把握しているから、彼らは混乱しない」と。聖書には66書あり、様々なことが書かれているが、その部分だけを取り出して、聖書を勝手に解釈してはならない。聖書から自分に都合の良い部分を取り出し、「これがクリスチャンのあり方だ」とか「こう生きるのが正解だ」などという断定を聖書の一部の箇所から引っ張り出すならば、それは間違いとなる。聖書は「全体」で読み解かねばならない。「堅固な足場」とは、まさに聖書全体のことを言っている。 |