2019.12.29 の礼拝案内

週 報 74522019.12.29
これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(ルカによる福音書2章31節~32節)

主 日 礼 拝  午前 10:30
奏楽  加 藤 純 子

<神の招き>
招 詞 イザヤ書7章14節

*讃 詠  (21)83

*罪の告白と赦し 交読詩編5編1節~4節

*讃美歌 (21)7[1-3]

<神の言葉>
聖 書  イザヤ書11章6節~10節 (旧約P.1078)

ルカによる福音書2章22節~38節  (新約P.103)

祈 り             森 﨑 千 恵

*讃美歌 (21)278

説  教   救いを待ち望む人々   三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌  (21)436

*十 戒

公 告

*献金感謝

*主の祈り (座席前そなえつけ)

*頌 栄  (21)46

*派遣と祝福

*後 奏

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方は

お座りのままでどうぞ。

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礼拝当番 (今週) 三浦、島口、角野和、須田

(次週) 加藤、新畑、武政み、中山莉

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掃除当番 (今週) 入江、増田、塩澤、岩本

吉田耕、吉田さ

(次週) 松本、浜田、佐藤真、加藤ヨ

板垣、草野

☆礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。

2019.12.29 週報掲載のお知らせ

次 週 礼 拝

<新年合同礼拝・聖餐式>

説教 「少年イエス物語」         三 輪 地 塩

申命記16章16節~17節

ルカによる福音書2章39節~52節

讃美歌545b、74、411、Ⅱ182、204、541  板 垣 玲 子

 
 
 
◇クリスマス行事出席者

トレインキッズ 27名(こども12名、おとな15名)

クリスマス礼拝128名 祝会88名 イブ礼拝115名

 
◇2020年1月から受付の出席表は男女別でなく50音順になり

ますので、ご注意ください。

 
【日曜学校教師研修会のご案内】

日時:1月13日(月・休)10:30~15:45 横浜海岸教会

テーマ:「日本の道徳教育が子どもの心に及ぼす影響」

講師:鶴田敦子(子どもと教科書全国ネット21代表委員)

 
【2020年1月の予定】

1月5日(日) 主日礼拝 聖餐式 定期小会

1月9日(木) 午前・午後初週祈祷会 「生と死」の学びは2月から

1月11日(土) 会計監査

1月12日(日) 総会資料締切

1月15日(水) 総会資料印刷 16日(木) 製本・配布

1月26日(日) 定期総会

 
*コートなどの忘れ物が多いので、ご確認ください。

2019.12.29~2020.1.4 今週の集会

      集 会

〇日曜学校                 9:00

〇「教会員の生活」による学びの会      9:30

〇朝カフェ(担当 松谷信司)        9:30

〇入門の会(休会)

〇クワイア練習                礼 拝 後

〇コイノニア                礼 拝 後

〇日曜学校教師会              礼 拝 後

今 週 の 集 会

◎祈祷題「一年の恵みへの感謝」

「新しい年の歩みが守られるように」

〇聖書の学びと祈りの会  1月2日(木)午前・午後休会。

初週祈祷会は午前・午後とも1月9日(木)に行います。

2019.12.29 週報掲載の説教

<2019年4月14日の説教から>

イエスを三度知らないという

マルコによる福音書14章66節~72節

牧師 三輪地塩

この箇所は、レントや受難週の時期になると、何度も読む機会があるため、教会に長く来ている方々は、そらんじる事も出来るほど聞いてきただろう。弟子ペトロが、大祭司の邸宅の庭で、イエスとの関係を三度否定したのであるが、その理由は「周りが敵だらけの中、イエスとの関係を肯定してしまうと、自分の命が危うかったから」、つまり「恐怖が彼を否定させた」と解釈されうる。だが、ヨハネ福音書18章15節以下には、「シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は~~」と書かれており、イエスの「もう一人の弟子」と言われる人物が大祭司カイアファと知り合いであったことが示される。そうであるならば、この「三度の否認」は「命の危険」によるものではなく、他の蓋然性の高い理由を考えるならば「恥ずかしかったから否認した」ということにでもなり得るだろうか。遠藤周作の『沈黙』のテーマにもなるが、(踏絵の)キリストは、命の危険を押して殉教の道を行こうとする宣教師に対し「わたしを踏め」と迫る。このことについての信仰的判断については当該の小説に譲ることとして、もしペトロに命の危険が生じていなかったとすれば、情状酌量の余地はなくなる。ペトロは思ったのかもしれない。「今、目の前で裁かれようとしている、この犯罪者(とされている)、イエスの仲間であると思われるのは恥ずかしい」と。或いは「ガリラヤの片田舎から出てきたおのぼりさんが、意気揚々とエルサレムに入城してきたが、今や見る影もなく弱々しく、惨めに立たされ、尋問されている、あの人の仲間であると見られることが「恥ずかしい」と。少々極端な言い方をするならば、ここで起こっている出来事は、キリシタンの「踏み絵」のような信仰の戦いではなく、「クリスチャンであることを友人やご近所さんに隠そうとしてしまう、私たちの心の中の「それ」なのである。ペトロの三度の否認は、ペトロの「高尚な信仰の戦い」ではない。私たちの「日常に溢れている信仰者の内的な戦い」なのである。