聖 書 詩編119編105節~107節 (旧約P.964)
ペトロの手紙二 1章12節~21節 (新約P.436)
説 教 「明けの明星があなたの心に昇るまで」
2019.10.27 週報の礼拝案内
週 報 74巻43号 2019. 10.27
こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。
主 日 礼 拝 午前 10:30
【宗教改革記念日礼拝】
奏楽 板 垣 玲 子
<神の招き>
招 詞 イザヤ書57章15節
*讃 詠 545a
*罪の告白と赦し 交読詩編147編15節~18節
*讃美歌 72
<神の言葉>
聖 書 詩編119編105節~107節 (旧約P.964)
ペトロの手紙二 1章12節~21節 (新約P.436)
祈 り 伊木 美穂子
*讃美歌 Ⅱ161〔1-3〕
説 教 「明けの明星があなたの心に昇るまで」 三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 517
*十 戒
公 告
*献金感謝
*主の祈り (座席前そなえつけ)
*頌 栄 540
*派遣と祝福
*後 奏
「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は
お座りのままでどうぞ。
礼拝当番(今週)森崎、野田、大嶋、岡野
(次週)加藤純、島口、小川澄、越智
掃除当番(今週)済陽、森崎、國久、新畑
鈴木惠、小出勝、武政み
(次週)深沢、阿部、岡野、松沢
小出和、室橋、
*礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。
こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。
主 日 礼 拝 午前 10:30
【宗教改革記念日礼拝】
奏楽 板 垣 玲 子
<神の招き>
招 詞 イザヤ書57章15節
*讃 詠 545a
*罪の告白と赦し 交読詩編147編15節~18節
*讃美歌 72
<神の言葉>
聖 書 詩編119編105節~107節 (旧約P.964)
ペトロの手紙二 1章12節~21節 (新約P.436)
祈 り 伊木 美穂子
*讃美歌 Ⅱ161〔1-3〕
説 教 「明けの明星があなたの心に昇るまで」 三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 517
*十 戒
公 告
*献金感謝
*主の祈り (座席前そなえつけ)
*頌 栄 540
*派遣と祝福
*後 奏
「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は
お座りのままでどうぞ。
礼拝当番(今週)森崎、野田、大嶋、岡野
(次週)加藤純、島口、小川澄、越智
掃除当番(今週)済陽、森崎、國久、新畑
鈴木惠、小出勝、武政み
(次週)深沢、阿部、岡野、松沢
小出和、室橋、
*礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。
2019.10.27 週報掲載のお知らせ
次 週 礼 拝 2019.11.3
< 聖 餐 式 >
説教「義の道を知っている者」 三 輪 地 塩
箴言26章11節~12節
ペテロの手紙二 2章1節~22節
讃美歌(21)83、3[1-3]、352、378、79、46 岩 本 道 子
日曜学校説教「希望の人生に旅立とう」 岩 本 道 子
使徒言行録7章1節~16節
【大森講座のお知らせ】
日時・場所 11月17日(日)14:00~17:00 大森教会
主題 教会政治の神学 ―改革派の教会政治原理とは―
講師 吉岡(よしおか)契(けい)典(すけ)(日本キリスト改革派 板宿教会牧師)
◇昨年同様クリスマスのお菓子の献品を募ります。
賞味期限が2020年1月末までのものをお願いします。
◇福音時報の購読の申込み封筒を配布致しました。封筒に
購読料を入れ、11月17日までにお申込みください。
この機会に新しい方もご購読ください。(担当 國見照子)
【おはなし会のお知らせ】
11月17日(日)13:00~13:30 南浦和教会
語り手:国岡晶子(銀座教文館ナルニア国お話し会チーフ)
< 聖 餐 式 >
説教「義の道を知っている者」 三 輪 地 塩
箴言26章11節~12節
ペテロの手紙二 2章1節~22節
讃美歌(21)83、3[1-3]、352、378、79、46 岩 本 道 子
日曜学校説教「希望の人生に旅立とう」 岩 本 道 子
使徒言行録7章1節~16節
【大森講座のお知らせ】
日時・場所 11月17日(日)14:00~17:00 大森教会
主題 教会政治の神学 ―改革派の教会政治原理とは―
講師 吉岡(よしおか)契(けい)典(すけ)(日本キリスト改革派 板宿教会牧師)
◇昨年同様クリスマスのお菓子の献品を募ります。
賞味期限が2020年1月末までのものをお願いします。
◇福音時報の購読の申込み封筒を配布致しました。封筒に
購読料を入れ、11月17日までにお申込みください。
この機会に新しい方もご購読ください。(担当 國見照子)
【おはなし会のお知らせ】
11月17日(日)13:00~13:30 南浦和教会
語り手:国岡晶子(銀座教文館ナルニア国お話し会チーフ)
2019.10.27~11.2 今週の集会
本 日 の 集 会
〇日曜学校 9:00
〇「教会員の生活」による学びの会 9:15
〇朝カフェ(担当 松谷信司) 9:30
〇入門の会(担当 三浦勇二) 9:45
〇クワイア練習 礼 拝 後
〇コイノニア 礼 拝 後
〇日曜学校教師会 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題「日本軍『慰安婦』問題と取り組む会
主催の集会のため」(11月4日)
〇聖書の学びと祈りの会 31日(木)10:00
歴代誌10章 (担当 三輪地塩) 司会 吉田 さとみ
〇聖書の学びと祈りの会 31日(木)14:00
ヘブライ書7章1節~10節 担当 岡 野 庸 子
〇日曜学校 9:00
〇「教会員の生活」による学びの会 9:15
〇朝カフェ(担当 松谷信司) 9:30
〇入門の会(担当 三浦勇二) 9:45
〇クワイア練習 礼 拝 後
〇コイノニア 礼 拝 後
〇日曜学校教師会 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題「日本軍『慰安婦』問題と取り組む会
主催の集会のため」(11月4日)
〇聖書の学びと祈りの会 31日(木)10:00
歴代誌10章 (担当 三輪地塩) 司会 吉田 さとみ
〇聖書の学びと祈りの会 31日(木)14:00
ヘブライ書7章1節~10節 担当 岡 野 庸 子
2019.10.27 週報掲載の説教
<2019年3月10日説教から>
『最後の晩餐』
マルコによる福音書14章22節~26節
牧師 三輪地塩
イエスが十字架にかかる前夜の「最後の晩餐」での出来事。イエスは「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と発言し、弟子たちはショックを受けた。彼らは代わる代わる「まさか、わたしのことでは」と言い始めた。この弟子たちの姿勢は悪くない。なぜなら、「それは私ではありません」ではなく「それは私かもしれません」と言っているからである。人は罪を犯す。それが前提である。どんな立派な人間であっても、どんなに社会的地位が高くても、「聖人」と呼ばれるような者であっても、みんな罪人である。それ故に、「まさか私のことでは」と尋ねる姿勢は正しい。
この衝撃発言の後でも、イエスは晩餐を続け、これが十字架前の最後の晩餐となったのである。我々の礼拝においても、次の言葉は聖餐式でお馴染みである。「これは、多くの人のために流される私の血、契約の血である」。この言葉は重要だ。キリストの十字架の血が、個人の罪ではなく「多く人の罪のために流されたものである」と書かれているからである。ユダは明らかな「裏切り者」のレッテルを貼られる人物になったが、この罪をユダのみに着せることはできない。我々の内に「ユダ性」が秘められており、「ユダ的に」罪を犯す可能性から目を背けてはならない。ユダは我々人間界の彼岸に存在するのではなく、まったく我々と同じ此岸の存在である。それは、他の弟子たちが、それぞれの仕方でイエスを裏切った事にも示される。例えばマルコ福音書14章50節には「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」とあり、続く51節には「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった」。とある。また同14章71節には「するとペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『あなた方の言っているそんな人は知らない』と誓い始めた」とある。ユダ以外の弟子たちもイエスを裏切っている。それは我々人間全ての姿だ。そこに言い訳も弁明も釈明もできない。我々に残されている行為は、この罪を赦し得るのは、「多くの人の罪のために流された」「キリストの十字架以外にない」と告白することのみである。
『最後の晩餐』
マルコによる福音書14章22節~26節
牧師 三輪地塩
イエスが十字架にかかる前夜の「最後の晩餐」での出来事。イエスは「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と発言し、弟子たちはショックを受けた。彼らは代わる代わる「まさか、わたしのことでは」と言い始めた。この弟子たちの姿勢は悪くない。なぜなら、「それは私ではありません」ではなく「それは私かもしれません」と言っているからである。人は罪を犯す。それが前提である。どんな立派な人間であっても、どんなに社会的地位が高くても、「聖人」と呼ばれるような者であっても、みんな罪人である。それ故に、「まさか私のことでは」と尋ねる姿勢は正しい。
この衝撃発言の後でも、イエスは晩餐を続け、これが十字架前の最後の晩餐となったのである。我々の礼拝においても、次の言葉は聖餐式でお馴染みである。「これは、多くの人のために流される私の血、契約の血である」。この言葉は重要だ。キリストの十字架の血が、個人の罪ではなく「多く人の罪のために流されたものである」と書かれているからである。ユダは明らかな「裏切り者」のレッテルを貼られる人物になったが、この罪をユダのみに着せることはできない。我々の内に「ユダ性」が秘められており、「ユダ的に」罪を犯す可能性から目を背けてはならない。ユダは我々人間界の彼岸に存在するのではなく、まったく我々と同じ此岸の存在である。それは、他の弟子たちが、それぞれの仕方でイエスを裏切った事にも示される。例えばマルコ福音書14章50節には「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」とあり、続く51節には「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった」。とある。また同14章71節には「するとペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『あなた方の言っているそんな人は知らない』と誓い始めた」とある。ユダ以外の弟子たちもイエスを裏切っている。それは我々人間全ての姿だ。そこに言い訳も弁明も釈明もできない。我々に残されている行為は、この罪を赦し得るのは、「多くの人の罪のために流された」「キリストの十字架以外にない」と告白することのみである。
2019.10.20の説 教 三 輪 地 塩
聖 書 出エジプト記12章21節~28節 (旧約P.112)
ヘブライ人への手紙11章28節 (新約P. 416)
説 教 「救いのしるし」 三 輪 地 塩
ヘブライ人への手紙11章28節 (新約P. 416)
説 教 「救いのしるし」 三 輪 地 塩