説 教 「ナルドの香油」
その他・集会案内
【神学校卒業式のお知らせ】
明日2月25日(月)13:00~ 神学校礼拝堂
卒業生は浦和教会会員の鈴木美津子さんですので、どうぞ
ご参加ください。
*浦和教会有志がお茶の接待を致します。
【大中会負担金変更のお知らせ】
これまで大中会負担金は4,000円でしたが、総会において
2019年度は4,500円に増額することが承認されました。
どうぞよろしくお願い致します。 (小会)
2018.07.22 の説教から
<7月22日の説教から>
『この子供の一人を受け入れる者』
マルコによる福音書9章30節~37節
牧師 三輪地塩
イエスが弟子たちに「途中で何を議論していたのか」と尋ねのは、彼らが「誰が一番偉いか」について議論し合っていたからであった。彼らはイエスの思いとはかけ離れた価値観にあった。恐らく彼らも、誰が一番偉いかという事が本質的なものではないことは何となく分かっていたはずである。だから「黙っていた」のであろう。
この弟子の姿を見たイエスは、12人を呼び寄せた。「一番先になりたい者は、全ての人のあとになり、全ての人に仕える者になりなさい」。この言葉には信仰の本質が示される。イエスは、偉さの概念を、大きさや、立派さの中にではなく、身の低さ、謙虚さ、自己否定の中に示された。
興味深いことに、イエスは「一番の弟子になって良い」と言う。イエスが言う「一番」は、人を出し抜いて奪い取る一番ではなく、仕える事による一番であり、人のために行なうことの一番である。イエスは謙虚さを求める。しかし、ただ控えめな謙虚さや引っ込み思案ではなく、「積極的な謙虚さ」である。弟子たちが「誰が一番偉いのか」について語っていたのは「ただの積極性」であった。イエスの求めは、「積極的謙虚さ」であった。イエスは「子ども」を引き合いに出し「わたしの名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」。と語る
。
当時の子どもは「弱さ、無力さ」の象徴であった。政治的・経済的・軍事的に、人数として数えられるのは「成人男性」であり、女性・子供は、公の場に出ることが無かった。そのような小ささ、弱さ、無力さの象徴、である者たちを受け入れる者こそ、一番偉いのだ、とイエスは言う。
現代も同じ響きを持って語られる、「現代社会の中で小ささ、弱さ、無力さを持った人」、さらに「蔑まれている人、軽蔑されている人、迫害されている人、虐め、虐待を受けている人」に対し、「私の名のために、その『小さく、弱く、蔑まれた人』の一人を受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」。この言葉は真実である。
2019.02.24~03.02 今週の集会
今 週 の 集 会
◎祈祷題「浦和教会会堂改築のため」
〇神学校卒業式 25日(月)13:00
〇浦和教職者会(埼大通り教会) 26日(火)10:00
〇聖書の学びと祈りの会 28日(木)10:00
歴代誌上17章(担当 三輪地塩) 司会 志 賀 洋 子
〇聖書の学びと祈りの会 28日(木)14:00
詩編33編 担当大 和 文 彦
2019.02.24 礼拝予定
主 日 礼 拝 午前 10:30
奏楽 岩 本 道 子
<神の招き>
招 詞 イザヤ書42章1節a
*讃 詠 (21)83
*罪の告白と赦し 交読詩編132編8節~12節
*讃美歌 (21)7〔1~3〕
<神の言葉>
聖 書 申命記15章7節~11節 (旧約P. 305)
マルコによる福音書14章1節~9節
(新約P.90)
祈 り 増 田 裕 子
*讃美歌 (21)297
説 教 「ナルドの香油」 三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 (21)294
*十 戒
公 告
*献金感謝
*主の祈り (座席前そなえつけ)
*頌 栄 (21)46
*派遣と祝福
*後 奏
2019/2/17 説教音声 三輪地塩
説 教 「目を覚ましていなさい」
聖 書 申命記15章7節~11節(旧約P. 305)
マルコによる福音書14章1節~9節(新約P.90)
聖 書 申命記15章7節~11節(旧約P. 305)
マルコによる福音書14章1節~9節(新約P.90)