2017.07.23の説教から
<7月23日の説教から>
『キリストに捕らえられて』
フィリピの信徒への手紙3章12節~16節
牧師 三輪地塩
「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に
完全な者となっているわけでもありません。何とかして
捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエス
に捕らえられているからです。」
これはパウロがローマ兵に、捕えられていたにも関わら
ず、自分が「捕える側」に立っている。大変面白い言い回
しである。人間的な状況や環境から解き放たれて、既に彼
は福音において自由であった。人間の考えでは絶望的な状
況の中で、彼の命が「この世に基づいていない」事を示す。
讃美歌333番は「主よ われをば とらえたまえ。さらば
わが霊(たま)は 解き放たれん。わがやいばを くだきたま
え、さらばわが仇に 打ち勝つをえん」 と歌う。 これはフ
ィリピ書3:12をモチーフにして書かれている。
「主よ、私を捕えてください。そうすれば私の魂は、解き放
たれ自由になるでしょう」 と歌っており、 面白い逆説とな
る。「私の自由は、神に捕えられるという不自由の中にあ
る自由である」という逆説だからである。
この讃美歌を作詞したジョージ・マセゾンという人は、
1842年、 スコットランドのグラスコーに生まれた。生ま
れつき視力の弱かった彼は、徐々に弱っていく目と共に、
18歳の時に完全に失明したのである。だがマセソンは元来
の学問的才能を持っており、姉妹の助けを得ながら、何ケ
国語もの聖書言語を学び、エジンバラ大学で修士号を取
り、その後スコットランド長老教会の優秀な牧師になるの
だった。彼は、聖書を暗記する能力に長けており、更に素
晴らしい説教の能力を持っていたため、それを聞いた人
は、彼が盲目である事を全く気付かなかったという。
その彼がこの333番の作詞を語った。先天的な弱視を持
ち、後天的に失明した彼は、見ることを、光を奪われた。
一見すると、外の世界から切り離され、囚われの身のなっ
た思いがしたことだろう。だが彼は、キリストと共にあり、
キリストは彼と共にあり、「主よわれをば、 とらえたまえ、
さらば我がたまは、 解き放たれん」と言わしめる「命」を
「得た」のであった。
今週の集会
2017.12.03~09
今 週 の 集 会
◎ 「家庭集会のため」 「世界平和のため」
〇大戸・武蔵浦和合同家庭集会(浦和教会)6日(水)12;00~
〇聖書の学びと祈り 7日(木)10:00~
列王記上19章(担当 三輪地塩) 司会 増田 裕子
*午後の祈祷会は 休会
〇問安(今枝 愛子さんホーム) 7日(木)12:30教会出発
〇訪問聖餐(安藤純一・律子さん宅) 7日(木)14:30教会出発
〇中会常置委員会協議会(大森教会) 8日(金)14:00
〇キリスト教史学会(明治学院大学) 9日(土)15:00
2017.12.03礼拝予定
2017.12.03
主日礼拝 午前10:30
<アドベントⅠ・聖餐式>
奏楽 岩 本 道 子
招 詞 イザヤ書7章14節
*讃 詠 545B
*罪の告白と赦し 交読詩編102編20節~28節
*讃美歌 94(1~2)
<神の言葉>
聖 書 イザヤ書 66章1節~2節(旧約p.1169)
マルコによる福音書 2章13節~17節(新約p.64)
祈 り
*讃美歌 99
説 教 「医者を必要とするのは病人である」
三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 108
*日本キリスト教会信仰の告白
聖餐式 202C
公 告
*献金感謝 (21)235 クワイア
*主の祈り
*頌 栄 539C
*派遣と祝福
*後 奏
2017.12.03礼拝予定
2017.12.03
主日礼拝 午前10:30
<アドベントⅠ・聖餐式>
奏楽 岩 本 道 子
招 詞 イザヤ書7章14節
*讃 詠 545B
*罪の告白と赦し 交読詩編102編20節~28節
*讃美歌 94(1~2)
<神の言葉>
聖 書 イザヤ書 66章1節~2節(旧約p.1169)
マルコによる福音書 2章13節~17節(新約p.64)
祈 り
*讃美歌 99
説 教 「医者を必要とするのは病人である」
三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 108
*日本キリスト教会信仰の告白
聖餐式 202C
公 告
*献金感謝 (21)235 クワイア
*主の祈り
*頌 栄 539C
*派遣と祝福
*後 奏