2017.09.10週報 掲載 <5月21日の説教から> 『たとえ口実であったとしても』 フィリピの信徒への手紙1章12節~18節 牧師 三輪地塩 「不純な動機」とは原語で「党派争い」を示す言葉であ る。恐らくパウロは、党派争いをしたがる教会員たちに手 を焼いていたのだろう。教会の一員でありながら自分勝手 に振る舞う者やパウロから敵対する者たちがいたのであ る。だがパウロはこのような状況さえも前向きに捉え「福 音の前進」の観点から語る。「だが、それがなんであろう。 口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知ら されているのですから、わたしはそれを喜んでいます。こ れからも喜びます」と。例えそれが「表面的」に見えた としても、そこにキリストがおられ、キリストの名が語ら れ、キリストが何らの形で中心とされるのなら、それを喜 ぼうではないか、ということである。 卑近な例であるが、スポーツやレクリエーションなどの 企画を「教会行事」として行った場合、少なからず聞こえ てくるのは「それは教会の中心的な事柄か」という批判や、 「楽しさを求めるのは教会の使命ではない」というお叱り の声である。確かにそれらは教会の「中心的な働き」では ないかもしれない。だが、キリスト(教会)をアクセスポ イントとして「集う」のであれば、そこには集まる意味が ある。「口実であれ、真実であれ、とにかくキリストが告 げ知らされる」場所となり得るのだ。
trong> 今月16日~18日、「全国青年の集い」が予定されてい る。「集い」の委員たちは「とにかく楽しく集まること」 をメインに企画し、難しい勉強会や偉い講師先生のお話し を聞くというありきたりの修養会であることを避けた。 「学びがない」との批判があるかもしれないが、我々はそ の喜びと楽しさに溢れた場所にこそ、キリストが立ち給う ことを信じつつ、良い集いになることを祈りたい。 |
2017.09.10主日礼拝
2017.09.10
主 日 礼 拝 午前 10:30 奏楽 三 輪 志 都 <神の招き> 招 詞 ガラテヤ書3章28節 *讃 詠 546 *罪の告白と赦し 交読詩編102編16節~29節 *讃美歌 2 <神の言葉> 聖 書 詩編116編1節~2節 (旧約P.956) フィリピの信徒への手紙4章15節~23節 (新約P.366) 祈 り 河 野 武 郎 *讃美歌 529 三 輪 地 塩 <神への応答> *讃美歌 354 *ニカイア信条 公 告 *献金感謝 *主の祈り (座席前そなえつけ) *頌 栄 541 *派遣と祝福 *後 奏 |