2017.03.26の説教から 『わたしは決して信じない』

  <326日の説教から>
 『わたしは決して信じない』
       ヨハネによる福音書202431
                              牧師 三輪地塩
 
代社会は、五感と体感で「知る」事を大事にする世界である。「実体」がなければ、「存在しない」と見做される時代。それが実証主義のこの世である。
 
復活のイエスに出会う前のトマスは、まさに我々の写し鏡のようである。疑い深く、実証主義的に、イエスの復活を「五感で知ろう」とする。だがイエスが現れた。その時既に五感を超えて「私の主、私の神よ」と信仰を告白した。
 
 他の弟子たちもトマスとは異なる疑い、つまり世間に対して疑心暗鬼になっていた、彼らは怖がって家の戸に鍵をかけ、ひっそりと隠れて過ごしていたのである。当然我々も同じような状況に立たされる事がしばしば起こる。「恐れて」「自分に鍵をかける」のだ。どんなに明るく、前向きな性格であっても、「恐れて自分自身に鍵をかける」事は、起こりうるのである。「周囲からの疎外感を理由に」「人の目を気にして」「誰とも接触したくない思いから」、我々はあらゆる場面で自らの心に鍵をかけるのだ。そう、我々の心は極めて閉鎖的なのである。
 
けれども聖書は、「それで良い」と語る。なぜなら自分の殻に閉じこもった弟子たちの「真ん中に」主は立ち給うからだ。「あなたに平和が(シャーロームが)あるように」と、鍵を閉めて嘆き悲しんでいる彼ら(そして我々の!)間に、立ち給う。我々は何も恐れる事は無い。主が来られる事をただ待ち望みたい。
 
 パスカルという宗教思想家は次のように言った。
「『奇跡を見たら、私の信仰は強められるであろうに』と人は言う。人がそう言うのは、奇跡を見ないときである。……ところが、そこに達すると、さらにその先を眺めようとする。何ものも、我々の精神の回転を止める事はできない」
 
つまり、人間という生き物は、「奇跡を見れば信じられる」と言うけれども、もし本当に奇跡を見たとしても、「それは手品ではないのか」「カラクリや仕掛けがあるに違いない」、などと言って、それを疑う心が新たに起こってくるだけなのだ」と。確かにパスカルの言う通りだと思う。
 
 だが主イエスは、このような疑い深い我々に対し、御自分の側から近づき、ご自分の復活を見せて下さる。我々からではなく、主が我々に近づいて下さる。我々は、その近づかれる主を受け入れ、信じるだけである。

昼カフェしました。

      
 
「昼カフェ」しました~!!

 夏バテに負けないで、
暑い夏を乗り切ろうということで

 7月30日(日)礼拝後

 毎週日曜日に行っている「朝カフェ」拡大版として「昼カフェ」を行いました。

今年のメニューは、ピザとyonanasパーティー
そう yonanas (ヨナナス)とは、凍らせたフルーツから作る新感覚のアイス的な夏スィーツ!
スムージーとアイスクリームの中間のようなスィーツ。








☚ヨナナスを作る器具









初めての方も
いつメンも 和気あいあい
美味しく頂きました。

今週の集会 (2017.07.30~08.05)

今 週 の 集 会(2017.07.30~08.05)
 
◎祈祷題 「世界の教会を覚えて」
        (8月6日世界の教会を覚える日)

〇聖書の学びと祈り会は、午前・午後とも休会です。


2017年3月19日の説教から

 <319日の説教から>
            Ερήνηשָׁלוֹם
     ヨハネによる福音書201923
                     牧師 三輪地塩
 
  復活の主イエスが弟子たちの真ん中に立ち「あなたがた
 に平和があるように」と話しかけられた場面である。
 聖書はこの時の「平和」という言葉を「Ερήνη」(エイ
 レーネー)と記している。ギリシャ語のΕρήνηは、「民
 族や国家間の調和」や「心の平穏」を意味する。だがここ
 でイエスは、ギリシャ語ではなく、ヘブル語で(厳密に
 はアラム語で)そう言われたのである。それこそが「שָׁלוֹם
 (シャーローム)という言葉である。
  
  「シャーローム」は挨拶にも使う語であり「こんにちは」
 「さようなら」でも用いる。ここで考えたいのは、Ερήνη
 とשָׁלוֹםが同じ「平和」を表すと共に、ある部分におい
 て異なる概念を持っているという事である。
  
   シャーロームは、「שָׁ(Sh・シェン)、「 ל(L・ラメド)
 「ם(M・メム)3文字によって成り立つが、この3つの
  文字によって「健全さ」「完全性」という意味が生まれる。
  そこから「友情」「健やかさ」「健康」「安全」「救い」とい
  う幅広い意味がシャーロームの概念に含まれるのである。
  
   例えば「シャーローム」には「健康と繁栄を含む完全な
  幸福」という意味があるが、それは「神から与えられた賜
  物」としての「健康と繁栄」、つまり「人間が自分の力で手
  に入れ、奪い取った健康と繁栄」ではなく、あくまでも「神
  から与えられた「グッド・ヘルス」」という意味である。
 
   この場面、弟子たちは「部屋の鍵を閉めていた」とある
 ように「心の内の鍵」「心の閉ざし」の中にいた。彼らは   イエスの死と共に「霊的な命を失った」状態にあった。だが
そこにイエスは「シャーローム」という言葉と共に、「友情」「健やかさ」「健康」「安全」「救い」などの多くの意味 を持つこの言葉と共に、――喪失感によって精神さえも病 んでいたかもしれない虚ろな弟子たちの前に――、、主は「シャーローム」と言われ、立たれたのである。そこに「復活」の真の意味が示される。
 
  迫害者から狙われる事を恐れ、息をひそめて逃げ隠れて
 いる弟子たちの真ん中で、主は「シャーローム」と立ち給
 う。単なる「平和の挨拶」ではない。究極的な痛みや苦
 みの中にさえも、主の平和、主の平安、主の救いが共に居
 られることの確信がここにある。マタイ福音書1章の「主
 我らと共に居まし給う」(インマヌエル)とはこの事である。
 
 

2017.07.30主日礼拝予定

2017.07.30
主日礼拝  午前  10:30
                         奏楽  田端誠治
<神の招き>
 招 詞  エフェソの信徒への手紙5章14節b
*讃 詠  545A
*罪の告白と赦し  交読詩編32編1節~5節
*讃美歌  90
<神の言葉>
 聖 書  詩編55編16節~23節  (旧約P.888)
       フィリピの信徒への手紙3章17節~4章1節(新約P.365)
 祈 り                                 松谷信司
*讃美歌  513
 説 教  「わたしに倣う者になりなさい」
                                     三輪地塩
<神への応答>
*讃美歌  Ⅱ167
*日本キリスト教会 信仰の告白
 入会式
 公告
*献金感謝
*主の祈り
*頌 栄  539
*派遣と祝福
*後 奏

2017.07.23~29今週の集会

今 週 の 集 会
祈祷題「教会員の健康が守られるため」
日曜学校「夏の集い」   
    24日(月)10:00~14:00 
  テーマ「賜物の使い方」                                     
  参加費 こども無料 大人¥300
  どうぞ お子さん お孫さんをお連れ下さい。
聖書の学びと祈りは、
 午前午後とも7月20日~9月10 日まで休会です。
 「生と死」の学びは、8月9月 休会です。
東京中会教職者会(相模原) 24日(月)~25日(火)