2016年11月13日の説教から(合同礼拝))
<11月13日の説教から>(合同礼拝) 『基礎を据える』
マタイによる福音書7章24節~27節 牧師 三輪地塩 イエス様はマタイ福音書7章24節以下で「砂の上にではなく、岩の上に家を建てなさい」と言われました。「建築技術」の話をしているのではありません。あなたの人生は、何の上に建っていますか?と質問しているのです。 砂に棒を刺すと簡単に刺さりますが、簡単に倒れてしまいます。その反対に、堅い土には簡単には刺さりません。しかし一度刺さると簡単には倒れないのです。このような譬えを用いてイエス様は言うのです。あなたたちの人生もそれと同じだよ、と。 皆さんにとって「基礎」とは何でしょうか?勉強すること、遊ぶこと、体力、親子・兄弟などの人間関係、色んな方向から色んな答え方が出来ると思います。では、キリスト教信仰にとっての基礎とは何か。それは「御言葉」「聖書」に聞き続けることです。世の中はどんどん新しい物を造り出し、新しい発見や発明を行っています。人間の知恵は本当に素晴らしいなあと感じます。しかしそのような如何なる知恵にも増して、神様から与えられる知恵こそが、何よりも最も大事なことだ。そう信じる事、そしてそのように御言葉に聞き続けることこそが、私たちの基礎になっていくのです。 建物の「基礎」には2つの特徴があります。一つ目は「基礎を作るのは大変な作業である」という事です。しっかりと建てる基礎は、時間が掛かりますし、簡単に据えることはできません。しかし確実にそのかけた時間は、その人を下支えするのです。 二つ目は「基礎は見えない」という事です。基礎は美しさを競うものではなく、これ見よがしに人に自慢して見せるものではありません。いざと言う時にあなたの「心」も「体」も「魂」をも、その全てを、人生の全てを支える、堅い土台です。 イエス・キリストに聞き従う事は、まさにこの「土台」を固めることになります。時として人生には、嵐が吹きますし、地震や津波にも似た状況が起こるでしょう。一瞬で自分の人生がかき消されてしまうようなことも起こるし、あまりにも理不尽で承諾しえない状況にも襲われるかもしれません。しかしその時、キリストという基礎が私たちの内に堅く据えられていることが、全ての困難を乗り越えることの出来る「土台」となるのです。 |
2017年3月26日礼拝予定
主 日 礼 拝 午前10:30
【レントⅣ】
奏楽 三 輪 志 都
<神の招き>
招 詞 イザヤ書66章10節
*讃 詠 545A
*罪の告白と赦し 交読詩編51編12節~19節
*讃美歌 73
<神の言葉>
聖 書 詩編22編17節~22節 (旧約P.853)
ヨハネによる福音書20章24節~31節
(新約P.210)
祈 り 森 千 恵
*讃美歌 239
説 教 「わたしは決して信じない」
三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 243
*十 戒
公 告
*献金感謝
*主の祈り (座席前そなえつけ)
*頌 栄 542
*派遣と祝福
*後 奏
☆礼拝中の「アーメン」は大きな声でお願いします。