2010.3.14 ヨハネ福音書 13:1-15 牧師 中家 誠
主イエスが十字架に赴かれる時のことを、聖書は、「この世から父のもとへ移る、御自分の時が来たことを悟り」と記している。十字架の道は、「父のもとへ帰る道」であり、「神の御旨の中にある時」なのである。
その時、主は弟子たちの足を洗いたもう。それは御自分の身を低めての行為であり、僕(奴隷)となってなしてくださる事なのである。キリストの十字架の死は、人間の罪を負って死ぬ「神の小羊」としてのみ業(わざ)なのである。「主は極みまで愛し抜かれて」とも記されている。
わたしたちは皆、この師であり、また神の御子であるお方によって、足を洗っていただく者たちなのである。
人類の歴史は、始祖アダムの時以来、神に背き続けてきた歴史である。わたしたち一人ひとりも、その罪の責任を負っている。従って、この罪の赦しなしには、誰も正しく神の前に生きることができない。
主は今日もなお、わたしたちのほこりにまみれた足を洗い続けておられる。この御愛によってのみ、わたしたちは、正しく生き得る者であることを、深く覚えたいと思う。